森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

「鈍感さ」を手放して、自分の感覚を取り戻す時です

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大型連休に突入しましたね~。

例年ですと今の時期は、他県ナンバーの車で道路は混雑、たくさんの観光客で大賑わい・・・の土地なのですが、今年は本当に静かです。

地元の人が用事で往来するくらいで、道路も車があまり通らず、とても静か。

人間がいなくなったせいか、鳥がよく囀るようになりました。

家に居ても、外から鳥の声がよく聞こえてきます。

空もきれいだし、自然の草花もきれいに咲いているし、自然が生き生きしています。

本来はこういう感じだったんだなぁ・・・と、目の前に広がっている風景を見ながら、いろいろ感じています。

 

そういえば先日、このコロナ禍によって経済活動がストップしたことにより、世界の至るところで環境汚染がストップし、美しい風景が戻ってきた・・・というニュースを目にしました。

大気汚染は改善、野生動物は街中に…… 新型コロナウイルスによって世界各地の都市環境が変化している | Business Insider Japan

 

これを見ると、人間は今まで、どれほど地球に負担をかけてきたのだろう・・・と思います。経済の発展と豊かさを得るために、自然にたくさん負荷を与えて、環境を汚してきた・・・ということです。

 

これからは、『自然環境との共存』が大きなテーマになっていくでしょうね。

右肩上がりの発展は、もう過去の話。これからは、自然と仲良く共存しながら、私たちの暮らしを維持していく・・・そういうスタイルへ変化していくと思います。

 

そういう点でも、自分の身体と向き合うこと。すごく大切です。

 

ここにも書きましたが・・・

www.emiko258.com

 自分の身体を「自然の一部分」と受け止めたとき、自分の身体に無理を強いたり、過剰に飲食させたり、不健康な身体の使い方をすることは、そのまま「自然環境を壊す」ことと同じ思考回路で生きている・・・のと同じだと思うのです。

 

自分の身体の反応に鈍感な人は、自分の周りの人の健康や環境にも鈍感です。

 

分かりやすく例を挙げて説明しますね。

 

たとえば、毎日ストレスから暴飲暴食を続けている人は、身体(内臓)が悲鳴を上げて苦しがっているのに、身体に対する感覚が麻痺しているから、どんどん食べたり飲んだりしていると思うのです。

身体と心がバラバラで統合できていないから、身体からの声をキャッチする感性のスイッチが切れているのですよ。

 

だから、普通なら、体調を壊して苦しくなるのだけど、飲み食い自体が「ストレス発散」「エゴを満たすツール」になっているから、簡単に手放せず、止めることができません。これを手放すと、自分を保てなくなって生きていけなくなるのです。

そのため「食い過ぎて苦しい」という感覚を封印して無視して、ただただ思いつくまま飲み食いに走ります。何かにつけて理由を付けて、ますます食べたり飲んだりする方へ突っ走っちゃうのです。

 

これが日常化していて、全く何の疑問も持たずに続けているような人は、他人の「食べ過ぎで苦しい」「飲み過ぎてしんどい」という感覚が理解できなくて、人にも自分と同じペースで飲み食いすることを勧めるケースもあります。

 

これは特に、中高年の昭和世代に多いかも・・・です。

お断りすると「オレが勧める酒が飲めないのか!」「ワタシが勧めるものは受け取れないっていうの!」と怒り出したり・・・(汗)。

人は人。自分は自分。そう割り切ることが大事なのに、こういうタイプの人たちは、他人の適量を思いやることができないから、こういうワガママなことを言い出して、自分の価値観を押しつけるんですよね・・・(汗)。

自分がよく分かっていないから、他人のことも分からない。自分を見失っている人の典型です。

 

本来なら、「自分の肉体の許容範囲を正しく理解していて、自分の身体が健康的にキープできる分量を適度に食べること」が大切なのに、「自分に合った適量」という意識がゴッソリ抜け落ちている人は、「食べること=ストレス発散&淋しさを満たす」になっているから、身体のキャパを越える食べ方飲み方を無意識にしちゃうのです。

 

結果、身体が壊れるまで、飲み食いに走ります。

病気になって倒れるまで、飲み食いが止められない人もいます。自分の心を満たすために、身体を酷使してまで飲食に突っ走り暴走するのです。

こうなると一種の依存症ですよね(汗)。

 

この行動は、根本的に「自分の身体をリスペクスする」という意識がないから、それで起きるのだと思います。要は自分に対して「節度がない」のですよ。

 

自分の身体は、生まれたときから「自分の所有物」なのですが、所有物に対する感覚が「支配」的だと、酷使して当たり前になるだろう・・・ということです。

自分の所有物に対しても、『親しき仲にも礼儀あり』じゃないけど、「仲良くしよう」「共存共栄していこう」と対等な感覚で、真摯に誠実に向き合う意識の人は、相手に対して無理を強いること(酷使や搾取)はしないでしょう。

 

ちゃんと相手のことを考えて、お互いにwinwinになるよう上手に折り合いを付けて調整していくと思うのです。

 

以上、飲食を例にとって説明しましたが、これは自分自身に対してだけでなく、自分の周りの人々(親しい人・大切な人)に対しても、似たようなことがあると思います。

 

 

◇◇◇

 

こうした「自分が所有していると思う相手を酷使しても良い」と思う感覚を、「自分の身体に対して鈍感」という言葉でひとくくりにして見た時、こういう感覚は意外と多いんじゃないでしょうか。

割と多くの人が、今まで普通に「鈍感さ」を持っていたと思うのです。

 

例えば「自分より年下の人」に対して鈍感な人、「女性・男性」に対して鈍感な人、「社会的地位が低い人」に対して鈍感な人、「ある職種に就いている人」に対して鈍感な人、「収入が低い&収入が無い人」に対して鈍感な人・・・等。

 

更に、その延長で、「動物」に対して鈍感な人、「特定の国や民族」に対して鈍感な人、そして「自然環境」に対して鈍感な人、「地球」に対して鈍感な人・・・等々。

 

この鈍感さが、社会の秩序を保ちつつ、一方で「不平等な社会」を作り上げてきたのです。

 

自分より弱い相手・モノを言わない相手・自分が支配できると思う相手に対しては、鈍感さを発揮し、支配や搾取を平気でやっていく・・・。

 これを当たり前のようにできる人たち(自分以外の人やモノに対して鈍感な人)は、おそらく、自分自身に対しても強烈なほど鈍感だろう・・・と思います。

 

鈍感じゃないと、こんな恐ろしいこと(=カルマを新たに作ること)はできません。

 

でも、以前の社会は、これが当たり前だったのですよ(汗)。

みんな普通に、支配したり搾取したり、鈍感さを武器にやりたい放題だったわけです。

 実際に、今までのことを振り返ったとき、皆さん、それを感じるでしょう?

 

ホント、昔は恐ろしい時代だったんです(汗)。

 

だけど、その「恐ろしさ」を、新型コロナが猛威を振るうことによって、私たちに身をもって厳しく教えてくれています。

「早く気づけよ」「早く目覚めろ」と、多くの人々に気づきの機会を与えてくれているのです。

だから、私たちは、身近なところや親しい関係の中にも「鈍感さ」が蔓延していなかったか・・・。凶器にもなり得る「鈍感さ」で無意識に人を支配し傷つけていなかったか・・・。また、他人の「鈍感さ」を許し支配に屈していなかったか・・・。それを確認しなくてはいけません。

 

 そう、今は「気づき」と「目覚め」の時なのです。

 

◇◇◇

 

ちなみに「鈍感である」ということは、「自分の感性のアンテナが全く働いていない」ということであり、「他者に対する想像力が欠如している」ということです。

 

これ、人間として生きているのに、生物がもつ本能的感覚や感性が全く機能していない・・・ということですよ。これってかなりヤバいことです(汗)。

 

コロナ以前は、「社会制度」や「地域のシステム」という形で、鈍感な人たちでも、それなりに立場が保証されるシステムやセーフティネットが人工的に作られ、機能していたのだけど、これからもう無理でしょう。

なんたって地球規模のサバイバル時代に突入したのです。

今後は、人工的なシステムでは拾いきれず、時空の狭間に滑落していく人がどんどん増えていくだろうと思います。

 

自分たちを保護して守ってくれるシステムを早く作れ!と国や自治体を脅して恫喝するより、自分の感覚が麻痺して鈍感になっていることを正直に認めて、素直に自覚し、自分の感覚&感性を取り戻すことに早く意識をシフトすることですよ。

 

鈍感なままでも偉そうに威張って生きていけた時代は、もう終わった・・・ということです。

 

自分を変えること・進化させることが、今はとても大切。

まずは自分ですよ。

自分の感性を研ぎ澄ませてください。

そして、自分の感覚を取り戻してください。

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梨の花。いろんな花が咲き乱れています。

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