森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

枠にはめることを止めて「自由になること」の大切さ

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「人に期待する」という行為は、相手のことを(遠回しに)支配するのと同じことだなぁ・・・と、最近強く感じます。

その他に、「人のことを心配する」という行為も、実は「心配」という名目で、相手のことを支配しているのですよ。

昔は、期待することも、心配することも、どちらも「愛情」という捉え方がなされていましたが、いやいや、「期待」も「心配」もどちらも不安や怒りから来るネガティブな感情エネルギーです。

それを対象者にぶつけるわけですから、ぶつけられた人はたまったもんじゃありません。これが親や祖父母、家族や肉親やパートナーだったら、あまりに近すぎて逃げるに逃げられないので本当に大変です。

身内だと24時間365日、絶え間なくダイレクトにぶつけられるから、ぶつけられた人は病むか暴れる・・・どちらかになるんですよね(汗)。

親や身内からエネルギーを抜き取られて心身共に衰弱している人は、そのまま病んじゃうし、エネルギーが有り余っている上に過敏な人だと暴れます。エネルギーが有り余っている人たちは、分かりやすく例えれば「高天原の素戔嗚尊さま」みたいな感じですよ。

自分に合わないエネルギーを感じると居ても立ってもいられなくなり、我慢できなくなって拒否反応を起こすのです。自分でも何でかよく分からないけどイライラしたり、腹が立って怒りっぽくなったり、更に進むと暴言とか暴力に突っ走ることもあります。

拒絶反応として暴れる訳だから、本当はもうそこから離れるべきなんですよ。

無理してそのまま居させる方が罪なのです。そういう暴れん坊は、家族とエネルギーが合わないのだから、いつまでも縛り付けていないで、心の自由を与えて、世界に解き放ってあげることです。例えて言うなら、大きくて立派な錦鯉なのに、家族の意向で無理やり金魚鉢にいれて飼育しているようなものです(汗)。金魚鉢じゃ無くて、大きな池に放ってあげてください。その方が錦鯉らしく立派に堂々と優雅に生きられます。

でも、期待や心配を「愛」だと勘違いしている家族は、そんな暴れん坊をますます心配し、「よくなってほしい」と更に期待を寄せ、金魚鉢から出してあげることは一切考えず、苦しむ暴れん坊をおろおろ見つめるだけで、何もしようとしません。むしろ、この場所は自分には合わないと必死になって暴れる人のことを「悪い」と決めつけ、自分たちは被害者だと言い出すのです。

全ては、「家族は仲良く一緒に暮らすもの」という勝手な思い込み(固定観念)が発端になっている訳ですが・・・(汗)。

この勝手な「思い込み」を固く信奉しているから、この信念を最後まで貫き通すことが「家族全員の幸せ」だと信じているのですよ。だから問題は一向に解決せず、どんどん状況が悪化していくのです。

家族の中で一番権力を持っている者が、そういう「思い込み」を頑なに信じている人だと、家族は本当に悲劇です。こういうタイプの家庭は「自分たちの思い込みを貫く」ことの方が、家族の気持ちに耳を傾け、家族一人一人の思いを大切にすることより大事なのです。だから、相手の気持ちを察して相手の意思を尊重する・・・ということができません。

家の中のことは、全て自分がお膳立てした通りに物事が進んでいくものであり、自分が期待したとおりに自分の家族もそうなってくれることが、「家族の幸せ」だと思い込んでいるのです。

でも、そういうエネルギーが合わなくて暴れてしまう暴れん坊は、そういうネバネバした粘着質の関係が単純に「嫌」なのです。ただ「合わなくて嫌」それだけです。でも、「嫌だ」「合わない」ということすら口に出せない空気があって、だから暴れるのです。

そういうのを見ていると、ふと、そこまで相手に我慢を強いて心を病ませるのって、家庭のあり方としてどうなんだろう・・・と私は思います。愛じゃなくてエゴを優先させているからなのでしょう。そうではなくて、ただ素直に相手の気持ちを聞いて、その気持ちをただただ認めて、相手を信頼し、自由にさせてあげる・・・。それで良いのになぁ・・・と思うのです。

暴れる人は、暴れるという形で一生懸命に自分の気持ちを表現しているですよ。病んでいる人も同様。自分の人生を棒に振ってまで、自分を傷つけてまで、親や家族に対して一生懸命に「何か」を訴えよう・伝えようとしているのです・・・。そこに早く気づかないと、どんどん問題がこじれていき、最後はどうしようもできない状況になり、取り返しのつかないことへ至るのです。

 

 

相手に変な期待をかけない、心配も一切しない。相手のことを信じて、自由に生きることを認める。自分の手元から離れて巣立っていくことを素直に喜ぶ。そういう自分になることが、本当は大事なのですよ。期待通りにならない相手を無理やり変えようと躍起になるのではなく、「自分を変える」ことですよ。自分の心の持ち方を変えるのです。

支配して縛るのでは無く、解き放って自由にする・・・。

それが一番の幸せであり、自分自身の幸せにも繋がるのです。

家族を解き放ったあとは、今度は自分自身の人生についてもっと真剣に向き合うべきなのですよ・・・。自分の人生をなおざりにしてきたから、その分、人を縛りたくなる・・・。

 その連鎖に早く気づくべきです。

 

「家族」という固定観念の枠から少しでも誰かがはみ出ると、「心配」という名の支配スイッチが入り、「親不孝者!」というキーワードで相手のエネルギーを削ぎ落とし、押さえつけ、「心配」という屁理屈で束縛・監視し、干渉し、自分の支配下に家族を置こうとするのです。「家族の結束から逃れる自由は絶対に許さない・・・。子供や孫が別の場所で自由に暮らすことを許さない。子は親元に帰ってきて一緒に暮らすことが親孝行の形なのだ。」・・・そう信じている人がいまだに多いです。

そして、この期待が通らないために家族間で摩擦が起き、それが原因で様々な悲劇が至る所で起きています。

 

社会も変化し、人々の暮らしも変化し、経済の流れも変化し、人々の意識も変化し、就労観も変化しています。昔は「変わらないこと」が「善」で、「変化し続けること」は「悪」という価値観でしたが、今はその逆です。変わらないことは「破滅」を意味し、生き抜くためには素直に「変化」を受け入れて、柔軟に適応していかなくてはいけません。

ただでさえ激動の時代です。ならば、家族に対する認識も、時代の変化と共に少しずつ修正して変化させていかなくてはいけないのです。

でも、相変わらず「期待」と「心配」で人を縛り、人を支配しようとする人たち・・・。こういう人たちは、時代の流れに逆らうことになり、どこにもつかまることができず、どんどん墜ちていくだろうなぁ・・・と思います。

家族の形だけでなく、自分の身の振り方も、老後も、生活も、今までとは違う状態へとどんどん変化していくでしょう。

かつての「理想モデル」なんて、今後は全く機能しないし通用しませんよ。

100人居れば「100通りの人生」があり、100世帯あれば「100通りの家族のかたち」 があるのです。昔は全部同じかたち・同じスタイルにすることが求められていたけど、あれって今思えばかなり異常でしたね(汗)。

うまくいく方法なんて最初からありません。というか、第一「うまくいく」って何を基準にそう断定しているのでしょう?

ある人には失敗に感じられても、違う人はそれをチャンスと受け止めるかもしれない・・・。だから自由なのです。枠にはめようとせず、決めつけようとせず、何者にも縛られず、とことん自由であること・・・。これからは「自由である」ことが、とても大切なのです。

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ある日の空。夕方の美しく澄んだクリアな空。