森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい/「自分らしく生きる」を実践するブログ

人間関係を円滑にするために、自分に損な役回りをあてがっていないか?

今朝は雪が積もって寒かったですが、時間と共に晴れてきて、日中はいいお天気になりました。

そこで、外に出て一時間ほどウォーキングをしました。

少しひんやりした空気の中を速足でリズミカルに歩きましたが、久しぶりの運動でしたので、身体がとてもスッキリしました。

燦々と太陽の光が降り注ぐ明るいところを歩いていると、気持ちもほぐれて明るくなるし、とても良いですね。

冬季は雪雲で曇りやすく気分も鬱々しやすいので、晴天の日はなるべく外に出て、外気に触れたり、太陽の光を浴びたりして、健やかに過ごすことを心掛けています。

今日のウォーキングは清々しくて心地よかったです。

 

 

最近、よく感じることですが…。

 

自分の心を傷つけないように、安全無事に生き抜くために、例えば、自分の家庭内や自分が属している場所などで、自分が安全でいられる役割やポジションについて、一生懸命に探して見つけだし、そのポジションや役割を自分に与えて、そのポジションや役割を完璧に果たすことで、自分を傷つける者たちから自分を守ろうと必死になって頑張ってきた…という人。こういう人が今も多いんじゃないかと思います。

 

これは、学校に通っている子供だちだけでなく、成人した大人や、大きな子や孫がいるような年配世代にも、たくさんいると思うんですよね。

 

要は、自分を安全に守ってくれるポジションや役割が手放せない…という人たちです。

 

客観的に俯瞰して見れば、そんなことをしても決して安全ではないのですが、ただ、相手との関係を断ち切ることは不可能だと思い込んだ人は、そこで長く生き抜くために「ポジション」と「役割」を自分に与えてしまう傾向があるようです。

 

たとえば、親がいつまでも強くて支配的だと、その親から酷く傷つけられるのを避けるために、親が喜ぶような「子供」であり続けようとするんです。子である自分はもう成人していい歳の大人なのに、それでも親が生きている限りは、ずっと永久に「無邪気で無知な子供」というポジションで居続けなくてはいけないんですよね。

また、親のメンタルを落ち着かせるために、自分は常に「素直で従順ないい子」という役割を果たして親を喜ばせなくてはいけません。

 

これと同じように、例えば、パートナーが力で身内を支配するような人だと、パートナーを怒らせないように、また、パートナーが満足してくれるように、自分に対してそれに見合った「ポジション」と「役割」を与えるのです。それでパートナーとの関係を維持しようと頑張るのです。

 

更に、職場や学校などでも、集団内のパワーバランスを見て、力が強い者から攻撃されたり傷つけられないようにと、その集団内で自分に合ったポジションと役割を見つけて自分に与え続ける…というのも多々あると思います。

 

 

こんな感じで、自分にポジションや役割を与えて、それに従って生きていく…というやり方を、皆さん、無自覚のまま普通にやっているのではないでしょうか。

 

 

実は最近、こうした「ポジション」と「役割」が自分の中にもあることに、ふと気が付いたんですよね。

 

ここ最近、何となく違和感を感じて、「何だろう?このモヤモヤは…」と思い、自分の心の中を俯瞰して観察していくなかで、「あっ!」と気が付きました。

 

 

私の場合。

 

いい年の大人なのに、もう充分に人生経験を積んできているのに、(親も含めて)私の周りのご年配者は、私たちを子供扱いして自分の支配下に置いてあれこれ世話を焼く…というポジションをずっと守ってきていたんです。

 

そして、ご年配者達は、いつまでもご自分のことを「立派で偉い大人」「正しくて常識ある大人」だと振る舞い、逆に、私たちのことを「未熟で幼い子供」「世話をしてあげないと何もできない半人前の子供」として扱ってきました。

 

それで、私たちは、角を立てないように…と、ご年配者の思考に合わせて、無理やり自分たちを「子供」にしてきたのです。

 

そんなことをずっと続けてきて、それで波風立てずに穏やかに過ごせていたんですが、最近、自分の心がモヤモヤしてきて、違和感を強烈に感じるようになりました。

 

それで、このモヤモヤの正体を内観して探っていくうちに、あっ!と気がついた…というわけです。

 

こんなパワーゲームは、自分が成人になったとき、早々に切り上げるべきだったんですよ。

 

だけど日本という社会は、親が子に依存し、子も親に依存させるように仕向ける装置がたくさん隠されている社会だから、無自覚のまま、親の精神的自立を阻むシステムに巻き込まれていたんですよね。

 

いつまでも親が子のダメなところを見つけて、子にダメ出しし続けることで、子の自己肯定感を破壊し、子の自立心を摘み取り、代わりに親が子の世話を焼き、親が老いたら子に世話を焼かせる…というシステム。

相手の自由を奪ってまでも世話を焼くことを「愛」だと許容する歪んだ価値観。

 

そういうのに私もいつしか巻き込まれてしまい、気がついたらずっと「無邪気な子供」の役割を担わされていたんですよね。それにようやく気がつきました。

 

そこで、このポジションと役割はすべて捨てます、手放します…と心の中で宣言しました。

 

 

このポジションと役割を完全にすべて放棄したところから、ようやく本当の人生が始まるのだと思います。

それまでは皆、作り物のダミーの人生を生きている…ということです。

 

  • 「自分らしく生きる」と言いつつ、誰かの都合のいいように利用されていないか?
  • これで良いと思い込まされていないか?
  • これを愛だと誤解していないか?

この辺りをしっかり俯瞰して見つめ直し、手放すべきことはどんどん手放していくことが大切だと思います。

 

 


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今日の青天。すっきり晴れました。