最近、感じることですが・・・。
常識通りにキチンと生きていて、礼儀やマナーに人一倍気を遣い、一見とても素直で優しくて良い人がいるけど、実際のところ、その人の中身(本性・本音)は相当疲れていてクタクタで、精神的にギリギリとのころで、もうこれ以上自分を作るのは嫌だ・・・と発狂寸前・・・?
なんだか、そういう人が多いような気がするのです。
- 何をするにも、いちいち親に説明して、親の意見を乞い、親に承認してもらえないと安心して何もできない・取り組めない・・・。
- 常に周囲の人々の目を気にしていて、親や先祖が築いてくれた我が家の「世間体」を壊さないよう、自分を押し殺して「理想的な人間」であり続けようと頑張っている・・・。
これらは、昔は「美徳」と言われていたかもしれないけど、今や「昭和の価値観」の名残であり、やればやるほど今の時代に逆行することになり、自分が辛くなるだけです。
第一、「親に従順に従って生きる」ということは、未成年の子供ならば仕方がないけど、いい年の大人が、自分の身の振り方までいちいち親に打ち明けて、親の意向にそうように生きていく・・・なんて、何だか子供っぽくて恥ずかしいと思うのです。
でも、周りを見ると、もう中高年の大人が、高齢の親の前では純真無垢な子供になり、一生懸命に「素直な良い子」になっている人もいて、そういうのを客観的に見たとき、正直なところ「気持ちが悪いなぁ」と感じてしまうのです。
親は親で、いつまでも自分の子供を幼児扱いして、「うちの子は素直で良い子なんです」と喜ぶかもしれないけど、その子が40代・50代・60代・・・になったとしても、相変わらず「うちの子は、親の言うことを素直に聞いてくれるし、親を大事にしてくれるし、自慢の子なんです」とホクホクと喜んでいるとしたら、この親子は相当変だと思うのですよ。
もちろん、子供がまだ小学校の低学年から中学年くらいなら、上のような台詞を言ってもギリギリOKだと思います。でも、自我が目覚める高学年や中学生になったら、もうアウトですよ。
だけど、自分のなかの時計が止まっている人たちは、常に意識が「過去の自分」で停滞しているから、自分の子供にも「いつまでも幼くて素直で、手がかかる可愛い子供」で居続けることを無意識に願います。願う気持ちは、無言の圧力となり、子供が大人になることを無意識のうちに「絶対に許さない」のです。
だから、子供はずっと子供のままで居なくてはならず、親の精神の安定のために(子供が親に刃向かったり、親の手から離れることになると、親はパニックを起こして大騒ぎし、子の自立を阻もうと面倒なことを起こすため)、子はずっと永久に「素直で従順な良い子」であり続けようとする訳です。(自覚なく無意識のうちに・・・)
そして、今は超高齢化時代です。
私が子供だった昭和時代は70代くらいで寿命が尽きる人が多かったけど、今や80代・90代・なかには100歳以上生きる人が増えています。
親世代が長生きになった分、いつまでも「親の子供」という立場を強いられる時期も延びていて、今では70代の人たちが、90代の元気で頑固な親の下で我慢しながら生きているケースも増えています。
親が死ぬまで、子は親の呪縛から逃れられず、生きている間、ずっと「変わらない親」「自分を変える気が全くない親」と「親のご機嫌に合わせなくてはいけない子」という構図が続いていく訳です。
そんななか、40代・50代・60代の中に「素直で従順で良い子」として生きてきた人がたくさんいて、肉体はもう年老いているのに、心は「良い子」「素直な子」のままで生きています。
そういう人たちは、一見とても良い人です。人当たりも良くて、素直で純真で、悪いことは一切しなくて、誠実で欲もなく、とても良い人です。
表面的にはとても穏やかで良さそうなんだけど、でも、そういう人たちはエネルギー的にはものすごい問題を抱えています。
つまり、オーラに色が無くて、エネルギーが全く無いのですよ。
外に放出しているはずの、その人自身のエネルギーが全く感じられないのです。
言葉は丁寧だし、表情も穏やかだし、性格も落ち着いていて、紳士的で丁寧で、とても気立ても良くて良い人なんだけど、その人自身の個性が全くなくて、言い換えると「親の作品」という感じなのです。
つまり「親が作り上げた作品」。その人自身ではなく、「親の作品」として生きている・・・という感じなのです。
だから、親が「嫌な気持ち」になることはしない。親を怒らせない。親を悲しませない。親を不安がらせない。親を満足させる。親に喜んでもらう。親・親・親・・・。自分のプライベートも秘密も全部親に打ち明けて、自分のスケジュールも全て親に知らせて管理させ、親の感情を揺さぶらず、親の精神安定剤として、親の都合に合わせて生きていく・・・。つまり「親の作品として生きていく」・・・そんな感じなのです。
だから、こういう人と会うと、その人の命のエネルギーが全く感じれなくて、死んだ人みたいなんですよ(汗)。エネルギー的には・・・ね。
こんな状態では、さぞ息苦しくて大変だろうなぁと思うのだけど、ご本人は「親の作品」として生きていくことに慣れてしまい、「これが当たり前」だと思っているから、全然平気なんですよね。
更に突き詰めて言えば、生まれたときから親に洗脳されているので(親の感覚をかなり刷り込まれている)、それ以外の状態を知らないため、今の状態に疑問も不信も持たないようです。要は「わからない」ということです。
しかし、もしも「あれ?」と少しでも今の自分の状態に疑問を感じるようになったら、そこから亀裂が入り、一気に現実に引き戻されます。今は、蜜月の親子関係でラリっているけど、その夢が覚めてしまったら、もう悲劇です。目覚めた瞬間、今までの自分の人生そのものを根底から否定しなくてはいけなくなるので、そうなると自分が崩壊します。
自己を崩壊させる危険から「自分の心」を守るために、本能的に現実に気づく力に蓋をして、何も感じない・何も気づかない・・・自分で自分を「不感症」にしているのかもしれません。
以前は、そういう親子関係のなかで生きている人たちが多かったし、それが「親孝行」とか「美徳」とか言われていたので、それが当たり前だと皆が信じてきたけど、どんなに美徳と褒められても、最近では、自分の心が「もう自分を押し殺してまで親に合わせて良い子でいるのは無理」と強く感じるようになった人が増えてきたように思います。
これは、新しい時代のエネルギーの影響なのですが、親が子にベッタリと依存するスタイルは、今後は機能しない・・・ということです。新しい時代のエネルギーと古い時代のエネルギーが真逆なので、そこで葛藤が生じて、葛藤は摩擦となり、多くの人たちの心のなかに波風が立ち始めています。
高齢の親たちは頑なで心が固まっていることが多く、このまま人生を終えることになるのでしょうが(汗)、中高年の世代はまだまだこれからです。古い価値観と新しい価値観の間にうまれた「歪み」と「葛藤」を客観的に受け止め、個々に取り組み、個々の課題を解消させながら、社会全体の摩擦を整えてなだらかにしていくのが、私たち世代の使命です。
ですので、今までの親子ベッタリの歪んだ関係に対して、息苦しさを感じて「もう無理」と気づき始めた人が出てきたことは、時代の変化として必要なことなのです。気づいて感じることにより、ようやく自分の本心・本音がわかってきた・・・ということです。これは良いことなのですよ。
気づいたら、あとは自分の気持ちに正直になることです。正直に行動していくことで、ジワジワと浸透させて、少しずつ変えていけばいいのです。
それでも、まだ、親や世間体が発する古いエネルギーに抵抗できず、昔のやり方・システムに合わせようと頑張っている人たちもいます。
親が親世代の影響が強力すぎて、自分の本心にも逆らえず、ついつい楽な方(従順で素直で良い子になる方)を選んでしまうのです。
でもね。もうそれ止めましょう。
そうやっていつまでも古い体制を維持しようと無理して頑張っているから、何も変わらないのですよ。
更に、困るのが、あなたが発する隷従のエネルギーが、今も世界のどこかに蔓延る「支配する・支配される」の古い体制に付け加えられていき、「支配する側」の集合意識に力を与えてサポートすることになり(火に油を注ぐ・汗)、結果、支配側の力が強まり、ますます世界は混乱の極みへ突入していくのです。
あなたが自分の本心に反して、いつまでも足下の革命を起こさず、ずっと言いなりになって生きていくと、そんなあなたのエネルギーが世界を巡り巡って「民衆を虐げる側の人たち」に加担することとなり、結果、世界の混乱が延々と続いていく・・・ということです。
世界を愛と自由と平等の社会にしたいと願うのなら、あなたの中にある歪みと亀裂と摩擦を解消すべく行動に出ることです。あなたの目の前ある「支配」と正面から向き合い、自由を獲得すべく自ら立ち上がって闘うことです。
ここでいう「闘う」とは、相手をブチ倒すということではなく、あなたが自由になるように支配の傘化から抜け出すことです。
支配する者が居なくなったとき、支配者はその立場を失います。支配者は、自分の下で支配しつづけてきた人間を失うことで始めて、ようやく「自分の人生の課題」と向きあうことが出来るのです。
あなたが、いつまでも相手の言いなりになり、マザコン・ファザコンで生きている間、親にとっての密月は永遠に続きます。終わらせるには、あなたが断ち切るしかないのです。
親に文句を言うのなら、早く親の傘化から出ること。傘化から出ないのであれば、親の文句は一切言わずに黙って「親の作品」としての人生を全うすること。
その2者選択です。どっちにするか?を決めるのも、自分自身。親ではありません。
「自分に責任を持つ」まずはここからです。
自分は世界と繋がっていることを忘れないで下さい。
世界と繋がっているからこそ、自分のエネルギーも整えていくことが大切なのです。これも大切な宇宙への奉仕なのです。