森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

未来の自分に残したいもの

先日(10/15)は新月でした。

月の満ち欠けによって人間の体調も変化する…と言いますが、実は私も、今回の新月前に風邪を引いてしまい、具合が悪かったんですよね。

そのため、この土日は家に籠って温かくして過ごしました。

自分では全く自覚がなかったのですが、以前からどうも体が冷えていたみたいです。

そこで慌てて衣替えをして、温かい服を押し入れから引っ張り出し、いっぱい着込んで温活したら、身体にスイッチが入ったらしく、みるみる調子が戻ってきました。また、風邪用の漢方薬も効いてくれて、意外と早く回復しました。

身体を温める…ってホント大事ですね。

今は季節柄、風邪を引いている人が結構多いようです。

身体のバランスが少しでも崩れると、そこから体調不良に陥って病気に繋がっていくので、こじらせる前に、早めに手当てすることが大切だなぁと思いました。

 

さらに、この新月の影響で、心身のデトックスが起きていたみたいですね。

日々忙しくて「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」とバタバタ過ごしていた私には、今回の風邪は、「もう何もしたくない、明日に回そう」と、やるべきことから解放して自分に休暇を与える機会になりました。

 

「未来の自分」が困らないように…と、「今の自分」ができることを今のうちからセッセとやってしまおう…と思い、ついつい無理して頑張ってしまうのです。未来の苦労を先取りして今やっておこうとするんですよね。ホント変な癖なんですが、今もやっぱりついつい出てしまいます。

結果、いろいろ抱え込み過ぎてしまい、「今の自分」がパンクしちゃうんですよ。

 

この癖のせいで、いつも気ぜわしくて落ち着かず、「あれをしておかなきゃ」「これもやっておかなきゃ」とバタバタしてて、心も体も休まらず、最後は気力が削がれてヤル気がメルトダウンする…という悪循環に陥っていました。

 

だけど今回、風邪を引いたことで、動きたくないし、頭も働ないから、「今日は休もう」と決めて、自由にのんびり過ごすことができました。

 

この私の癖も、よくよく考えたら、「よく気が付き、こまめに働くのが女性の鏡」という古い価値観の刷り込みが、今も作動しているからなんでしょうね。

 

身体の不調で「何もできない」状態に陥ったからこそ、自分の心の癖に気づいて、「もうやめよう」とストップをかけることができたんですから、ある意味「怪我の功名」ですね。

 

 

 

この風邪で不調だった時、ボーとしていた頭の中にふと浮かんできたことがあります。それは、

「未来の自分」に残せることは、お金ではなくて経験や体験

…というフレーズでした。

 

今まで私たち人間は、「未来の自分のために…」と、今せっせと働いてお金を増やし、節約してコツコツお金をためて、未来の自分が使うためのお金を作るのに必死だったと思うのです。

 

「お金がないと生きていけない」という恐怖心が強く頭の中にあって、みんな、お金を未来に仕送りするような感じで生きてきました。

 

だけど「老後の蓄えでお金を貯める」=「未来の自分に仕送りする」ために、今使うことを躊躇い、なかなか貯まっていかないことに恐怖を感じたり、お金を使うことに不安や罪悪感を感じてしまう…。こういう人、結構多いんじゃないかと思うのです。私も然りです。

 

でも、こんなふうにお金に縛られて生きるのは、お金の奴隷になっているようなもので、これじゃあ「今の自分」は全然満たされないし、ただつらいだけじゃないか…と、ふと感じたんですよね。

 

未来にお金を残しても、使えず死んでいくかもしれないし、それだと、私の人生の目的を叶えるために、私のもとに寄り集まってくれたお金を生かさず死蔵させる…ってことですよ。

 

そう考えた時、お金の概念をこれからは変える必要があり、お金を富や権力の象徴にしてはいけないし、お金というものについて、その価値観や使い方を頭の中で新しく差し替えなきゃいけないと思いました。

 

 

 

実際に、今までの私の人生を振り返った時、今の私が、過去の若かった私から受け取った宝物は何か?といえば、「お金」じゃなくて、若い頃に得た経験や体験でした。

お金は常に循環していて、私の手元に(給料等の形で)流れ着いても、また出費という形で私の手から離れていきます。お金は私のもとを出たり入ったりしながら、ずっとグルグル巡り巡っているのです。

 

そのお金と引き換えに、私は経験を買い、体験を買ってきました。

 

たとえば、お店で珍しい食べ物を見つけて、試しに買って食べてみる。これも体験です。

行ってみたかった所に出かけて旅をする。これも体験。

会いたい人に会いに行き、いろんなお話を伺う。これも体験ですよね。

 

お金を使わずとも、思いもよらないことに遭遇したり、驚くようなことに巻き込まれたり…云々、なんてこともあります。

でも、結局はなんだかんだでお金を使うことになるし、動いた分だけ出ていくものも多し。

これらはいいことばかりでなく、アクシデントや病気やケガ、トラブルも多々ありです。

でも、全てみんな人生の経験なんですよね。

 

こんな感じで、今までの人生を振り返ると、お金が増えた減った、いくら使った、どんだけもらった…がメインではなく、実際に経験したことや体験したことの方がメインになっています。体験や経験の方が記憶に残っているし、心の財産になっています。

 

だから、人生で大事なことは「自分にどれだけの経験や体験を与えられるか?」だと思うのです。そして、その体験や経験の活動を支えるのが「お金」という訳です。

 

確かに、今の世の中は、何をするにもお金はかかります。

お金は物質化したエネルギーであり、人間が活動する時にはお金は絶対に必要なものです。

 

人がこの世界で生きていくには「実際に動いてみる」と同じくらいに「お金」も必要で、この両輪によって、人生が回転しています。

 

 

 

もちろんお金がないと暮らしていけないから、とても大事ではあるのだけど、でも、お金が無くなることへの不安や恐怖から、お金を使うことに罪悪感をおぼえたり、「今の自分」を幸せにするための出費を渋るのは、ちょっと本末転倒じゃないかな…と思うのです。

 

お金やモノは、自分の魂の一部にはなりません。

自分が稼いだお金や家族の財産、大事な預貯金、お金に交換できる高価な物、不動産…等は、たとえそれらが全て自分がの所有物であったとしても、自分が死ぬとき、自分の魂の一部分にはなってくれないです。

 

みんなこの世界に置いて、逝かなくてはいけません。

 

それを考えた時、お金を使わずせっせと貯めて「未来の自分のために」と残すことは、確かに老後の安心につながるのだろうけど、でも、単に「お金を貯める」ことに全力を尽くして一生を終えたら、私はきっと後悔するだろうな…と思いました。

 

だから私は、今の自分のプチ幸福のために、大切なお金を上手に使って心豊かに生きていきたい…と思いました。

 

お金が無くなったら、働いて稼げばいい。

社会貢献にもなって良し。

 

あまりシリアスにならず、明るい気持ちでいきたいですね。

 

ダリアが満開でした。