修羅場な時ほど、本当の自分(=地の自分)が出やすいものです。
普段の「何事もない平穏無事なとき」は、スマートでカッコイイ自分でいられますが、何か問題が起きたり、大きなトラブルに見舞われたときには、良い人の仮面が剥がれて「等身大の本当の自分」が剥き出しになります。
いつもは、とても優しくて穏やかで仏のような人が、人生最大の修羅場を迎えたとき、異常なほどテンパって動揺しまくっていたり、また、ブチ切れて周囲に怒りをぶつけまくり(今までの仏面が嘘みたいに)恐ろしくて怖かった・・・とか。また、その逆で、普段は軽くてチャラチャラした感じの人が、災害時には冷静沈着に対応し、ものすごく頼りになる存在でビックリした・・・とか、いつもは強面で怒りっぽい人が、小さな子供の前に立つと、優しくて愛情深い親切なオジサンになったり・・・等々。おそらくご本人も、有事の時や、非常時の自分の状態を実際に体験し、「あれ?自分ってこんな人間だったの?」と驚いているかもしれません。
こんな感じで、今までとは違う状況に見舞われたとき、人は、ポロリと「本当の自分」「素の自分」を出してしまうのです。どんなにカッコよく取り繕っても、いざというときには、今まで被っていた仮面が剥がれて、「等身大の自分」が剥き出てきます。
ですので、そんなときは、「本当の自分を知る」ために、自分自身を俯瞰して見てみると良いと思います。自分の肉体から自分の意識を外していくような感覚で、自分の真上から自分を客観的に見下ろして観察するような感じで、自分を見つめてみるのです。そして、自分の心の状態を感じてみてください。すると、自分の意外な一面を感じ取ったり、気づかなかった「本当の自分」に出会ったり、いろいろな発見があると思います。
それらを否定したり、ジャッジしたり、ダメだししたり、コントロールしたりせず、ただただ「ありのまま」を素直に受け入れてみましょう。「こんな自分もいたんだ」とそのままを受容してみてください。
そんななかで、自分を徹底的に管理し、自分をコントロールしようとする癖がある人は、自分の中に理想と反する感情や反応があると、それらを否定したくなるものです。
こんな自分はみっともない。かっこ悪い。恥ずかしい。失格・失敗だ。こんな自分は許せない。・・・等々。そんな気持ち湧き出て、自分の素の反応や感情を否定し、ダメ出しして、絶対に認めたくないと感じます。
例えば、何かが起きたとき、最初に感じるのは
焦り。不安。心配。ドキドキ。恐怖。悲しみ。悲観。絶望。・・・などなど。
ここで素直に最初の感情を受け入れることが大事なのですが、ここを否定してしまうと、「こんなネガティブな感情を抱かせるのは、〇〇のせいだ。」と他に責任転嫁して、そこに怒りをぶつけます。怒りをぶつけることで、自分の感情の出所を、他人のせいにして責任をなすり付けようとするのです。要は、「自分の体面を守るために、他人のせいにして他人をを責めることで、自分の立場を保持する」ということです。もっと簡潔に言えば、「エゴが発動した」ということです。そうやって、自分の不快感やネガティブな感情の出本を他人のせいにして、他者を悪者に仕立て、他者を責め立てることで、自分の体面とプライドを守ろうとする・・・ということです。
こういうやり方は、昔は普通でした。いつも誰かを責めて、他人に腹を立てて生きている人たちが(特に年配者に)多いですが、昭和時代の感覚で生きている人たちは、自分を見ないで他人ばかり見て生きているので、他人のせいにして生きていくことが簡単だったのです。これも、他人に依存した生き方の1つなのですが、無意識のうちに、他人に甘え、仮想敵国を作ってそれらを責め立てることで、自分のアイデンティティーを守って生きていたのです。でも、もう、そうしたやり方は古すぎて機能しません。もう自分以外に敵や悪者を作って、それを責めることで自分の問題に蓋をする・・・という方法は、何の効力も効果も発揮しない・・・ということです。むしろ、こんなやり方をしていると、時代の流れからどんどん取り残されていくでしょう。これからは、他者と自分のとの間にキチンと境界線を引いて、自分の問題にきちんと向き合い対処して解決させていくことが大事です。
話を戻して・・・。
人は、何か大きな問題や予想外の出来事に遭遇すると、そこから、いろいろな感情が出てきます。目の前に出てきた「現実」に触れることで、生々しい感情や反応がドバドバと出てきます。その時は、素直に、自分の生の感情や反応を受け取ってみてください。「自分はこんなに狼狽するんだなぁ」「私はこんなにも悲しいんだなぁ」「自分はこんなに怒りが爆発するんだなぁ」と客観的に冷静に自分の反応を受け入れてみてほしいと思います。
その上で、その感情の「元の部分」をしっかり見つめてみてください。
- 自分は何が怖いのか?
- 何に不安を感じているのか?
- 自分は何に怯えているのか?
- 自分はどうしてこんなに動揺しているのか?
- 何に怒っているのか?
- この感情はどこから来ているのか?
・・・等。自分の心から湧き出てくるネガティブな感情の「大元・おおもと」をしっかり探り当てるのです。探り当てて、「自分の心の根っこにあるもの」を突き止めてみてください。そこに、あなたの「今、取り組むべき課題」があります。見つけたら、それを克服しましょう。今すぐに克服することは難しくても、それをライフワークとして取り組むことを決意してください。
人は、未体験のものに対して不安や恐怖を感じやすいです。でも、人は体験を得ることで成長する生き物です。ですから、未体験のものに対して、これから体験しなくてはいけない状況に不安や恐怖を感じているのであれば、その恐怖や不安は、今からしっかり体験して乗り越えることで、いかようにも克服することができるはずです。
でも、多くの人が、不安や恐怖を感じると、その体験を避けようとします。必死になって「言い訳」や「言い逃れ」を探しだし、それらを並べ立てることで「その体験をしなくてもいい」ことを正当化しようとします。体験か逃れられるように必死になって画策するわけです。こうして体験を避けることで、恐怖や不安は一時的に遠のきますが、でも、俯瞰して見れば「何一つ体験していない」ことになるので、ご本人は何も得ていません。得ていないどころか、成長も何一つしていない・・・のです。
自分自身の問題を直視できない人は、いつまでも自分の問題から逃げ続けます。問題に蓋をして、何事も無かったようにして誤魔化し、それで「スマートでカッコイイ自分」を演出します。人に「良い部分」だけを見せて、自分をより良く見せることにエネルギーを費やすのです。
でも、本来、人間の人生の目的は「自分の問題に真摯に取り組むことで、自分に沢山の体験を与え、体験を通して自分をよりよく成長させる」ということです。
世間体を良くして、スマートでカッコイイ自分を演出して見せることではありません。人からどう思われようと関係なく、自分にいろんな体験を与えて、体験を通して自分の心を成長させてください。
成長とは、付け足していくことではなく、不要なモノを削ぎ落としてクリアにオープンになっていく・・・ということです。たくさんのものを装着して重々しくなるのではなく、どんどん手放して心が軽くなります。そして、心が自由になります。自分を縛り付けるものが無くなり、何者にも捕らわれない自由な心になります。そして、強くたくましくなります。恐れが無くなります。明るくなります。それが本当の成長です。
本物の成長を成し遂げている人たちは、大きな出来事に出会っても、落ち着いて対応します。怖がりません。適切に対処して問題を解決させます。現実的に行動します。感情的な反応で終わることはありません。必ず体験をして、体験から多くを学び取ります。逃げません。必要ならば、必ずその道を通ります。そして自分の姿を通して、周りの人に勇気と希望を与えます。ただそこに居るだけで、周りの人にポジティブな影響をたくさん与えます。これが成長した人の姿です。
ですので、自分自身の心の成長具合をチェックするために、時々、ドカンと大きな問題に巻き込まれることがあります。巻き込まれたときの自分の様子を見ることで、自分自身の心のレベルが確認できる・・・という訳です。
今、この時期、新しい時代へと移行するにふさわしい自分に成長できたか?どうか?・・・。そんな宇宙からの「試験」(お試し)が、皆さんに与えられていると思います。今まで予期しなかったことに遭遇し、慌てている人・焦っている人・不安と恐怖に押しつぶされそうな人・自分に絶望している人・・・等がたくさんいると感じます。でも、ビビって怖がっているその出来事は、あなたへの「試験」なんですよ~。この平成の30年間で自分はどれくらい成長できたか?を図るための、これは単元末テストみたいなものです。今までの人生の集大成だと思ってください。「私は成長した」「自分は完成した」と思い込んでいた人は特に、今どうですか?←今の自分の状態を俯瞰してみてください。「成長」と「完成」が心から実感できるような反応をしていますか?今の自分は客観的に見てどうですか?もしかして、全然変わっていない・・・なんてことはありませんか?どうですか?
今まで自分が生きてきた日々を思い出し、自分が培ってきた力と人生哲学を全てフル動員し、この問題と向き合ってみてください。
うろたえてビビって逃げ回るのではなく、ちゃんと乗り越えましょう。どういう形で乗り越えるのか?は、あなたの心の成長具合によって千差万別です。あなたらしい乗り越え方をして、この試験をクリアしましょうね。まずは腹をくくってください。
ちなみに、試験の合否は、結果の善し悪しに関係ありません。人間の浅はかな尺度で「幸せ」「不幸」と決めつけていることが、合格の証として与えられる訳ではありません。宇宙から見れば「不幸」も「幸福」もありません。みんなただの経験であり、ただ体験するだけのことです。どんな体験も貪欲に体験し尽くし、自分の人生の糧にしてガツガツ食い尽くして血肉にしてしまうことが、本当の意味での「幸福」なのです。辛くて苦しい体験も、それらを自分の血に苦にして、自分の心を一回り大きく成長させる糧にできたら、辛く苦しい体験も「幸福」であり「祝福」なのです。
そういう風に心の持ち方を変えることも、成長の証です。
もう今までの人間の価値観は通用しない「新しい世界」に突入しています。今、自分の目の前に起きている事を通して、自分の価値観を根底から変えて、もっと自由に自分らしく生きていけるように、自分の心を作り替えていきましょう。
そのための体験なのです。もう蓋をしないでね。怖いものほど真っ先に取り組んで克服していきましょう。