森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

何物にもとらわれず、自由な心で生きていく

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今日は曇りの予想でしたが、予報に反して時々晴れ間が広がり、まぁまぁ「いいお天気」と言える、夏空の一日となりました。

そんななか、今日は久しぶりに散歩に出かけ、しっかり歩いてきました。

 

昨日の8月7日に立秋を迎え、暦の上では秋となりましたが、まだまだ暑さは厳しいですね。しかも台風が接近しているとのこと。そして今夜は新月。

いろんなことがテンコ盛りですね(汗)。

気圧と気温と湿度と重力の影響が強く出る時で、どうしても体調が崩れやすくなります。皆さま、どうぞお体にはお気をつけてくださいね。

 

◇◇

今日の散歩中、日差しは暑さが厳しくて強いけど、吹いてくる風は少し涼しくて「秋」を感じました。そんななか、

何物にもとらわれない、自由な心で生きたいなぁ…

…と、ふと感じました。

 

今日はオリンピックの閉会式の日。

日本社会に根強く蔓延る問題点や課題を「これでもか…」というほど徹底的にあぶり出してくれた今回のオリンピックですが、そのお陰で、みんなが「何が問題なのか?」「変えなくてはいけないことは何か?」に気づき、共通理解することができたと思います。

膿出しをするときは、「どこに、どんな膿が溜まっているのか?」をちゃんと確認しておくことが必要で、膿をしっかり出し切った後は「患部はきれいになったかどうか?」までしっかり見届けることが大切です。

でも、今までを振り返ると、(過去には)問題点があったとしても、それを「なあなあ…」でごまかしたり、見逃したり、揉み消してきたことが多かったと思うのです。

特に「膿出し」にはエネルギーと時間がかなりかかかるので、やろうと思うと、何だかすごく遠回りしているように感じるんですよね(汗)。時間と労力の無駄に感じられて、面倒臭そうだし、真面目過ぎて損しているような気になってくるし、もっと要領よくやればいいのに…と馬鹿らしく感じられたりします。

だから、丁寧に膿出しをするなんて嫌だ!と避ける人が多かったんですよ。

効率よく済ませることを「良し」としていた前時代には特に、わざわざ膿出しして丁寧に処置することを嫌がる傾向がありました。

だから、「膿出し」をしないまま、膿の上に何かを被せて隠し、他からは何も見えないようにごまかしていたんです。こうして「何事もなかった」ことにして済ませることが多かったんですよ。

それで、そのうちに「揉み消して無かったことにする」という対処法を、みんながするようになっていきました。

 

しかし、揉み消された側に立つとしたら、自分の存在価値まで軽んじられて、丸ごと消されたような悲しみと苦しみが伴います。とても悔しくて腹立たしい気持ち、煮え湯を飲まされるようなやるせない思い、報われない悲しみを味わっても、昔は、その気持ちを受け止めて、そっと寄り添ってくれる人が「力を持つ側」の方に誰一人いなかったんですよね。

みんなバッサリ切り捨てられて、それで終わりです。

しかも、傷ついた側に対して、周囲や上の者が「大人の対応をしなさい」と要求する始末…。味方になってくれる人がいない上に、相手の非礼を許して水に流すことを強要されるわけだから、非常に理不尽だったんです。そうなると、自分の気持ちをグっと飲み込み、我慢してその場をしのぐしかありません。

 

こんな感じで、今までは表に出てこなかっただけで(…というか、表に出ないよう揉み消されてきた訳です)、人目につかない隠れた部分で、多くの人たちがジッと我慢して悔し涙を流してきたのだと思います。

でも、そんな人々の悔し涙や消化できない怒りと悲しみ等が、このオリンピックを通して、次々と表に出てきています。

ずっと適当にごまかされて隠されてきたことが、目に見える形になって浮かび上がってきたことで、人目にさらされ、広く知られて認知されてきました。結果、歪んでいたものが正され、間違いや勘違いが直され、意識改革が進み、社会が「浄化」されていくのではないか…と感じます。

 

 そう、膿出しが始まったんです。

膿を出される側には痛みや苦しみが伴うけど、しかし、これは必要な痛みであり苦しみなのです。自分の未熟さが自覚できず、無邪気に身勝手さを周囲に振りまける根っこの部分を「膿」と呼ぶのならば、膿出しをされられる側は、膿が完全に出るまでの間、自ら感じる痛みや苦しみをしっかり味わい尽くさなくてはいけません。でないと、人として成長できないからです。

 

今、もう闇に葬ったはずの過去の出来事&まだ未浄化だった出来事が次々と明るみになって表出し、それを行った本人が責任を負わされる形をとらされています。

こうして、やった側はやってきたことに対する報いを受けることで、社会全体のバランスを整えているのでしょうね。

 

今までは、力を持っている者が、その力を使って無邪気にやりたい放題やらかして、その時に焦げ付いて黒くなった箇所を誰かに押し当て、自らの非はサッと揉み消して、都合よく流せてこれたのです。昔はそれが普通にできたのです。

でも、これからは、このやり方はもう通用しなくなり、今後は完全にできなくなったのだと思います。ツケは必ず払わされる&蒔いた種は必ず刈り取らされる…そんな時代に入ったのでしょう。

 今までは自分の未熟さからくる非道な態度と言動を、(相手の懐の広さ・器の大きさに甘えて)平気でやらかし続けてきた人たちも、過去の自分がしてしまった行為や態度も含めて、全部、自分が受け止めなくてはいけなくなった…ということです。

つまり、自分自身の未熟さを(否が応でも)直視して自覚し、人として成長しなさい…と、容赦なく突き付けられているのです。

 

そう考えると、他人に対して横柄な態度をとるなんて、自分の身を亡ぼすことになるから、絶対にできませんよね。

誰が相手であろうと、誠意をもって誠実に接すること。品よくわきまえて対応すること。これが基本だし、これからのスタンダードになっていくと思います。

 

横柄な態度で、人を蹴倒したり、下品な対応を繰り返してきた人たちは、人を見る目のなかに「差別的な意識」がこびりついていて、それが人とのコミュニケーションの中で自然と出てしまったのでしょう。

心の中にあるネガティブなエネルギーが、自然と駄々洩れしていき、人に不快感を与え、人間関係の調和を壊し、場を汚していくのだと思います。

 

だからこそ、私は、何物にもとらわれず自由な心で生きたい…と思います。

人も自分も傷つけず、人も自分も尊重していく…。そのために、自分の心の中にエゴや私欲が混ざらない、ピュアな気持ちで生きたいなぁ…と。

何物にもとらわれず、自分の心を自由に解き放っていたい。

そんなことを、秋の気配を感じる風を全身に受けながら、そう感じたのでした。

 

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今日も蝉をたくさん見ました。ピンボケしてるけど蝉の抜け殻です。