最近、すごく感じることだけど、子供時代からずっと何かの思想を刷り込まれ続けていると、もうその思想が自分自身みたいな感じになっちゃうんですね。
そのため、目の前の出来事について、自分でじっくり熟考することができなくなり、自分の頭で判断することもできなくなるのですよ。
思想がその人の脳をコントロールするんでしょうね。刷り込まれた思想に応じて、みんな判で押したみたいに「同じ判断」「同じ意見」「同じリアクション」「同じ思考の流れ」「怒りのポイントも同じ」って感じなのです。
最近、顔見知りの人たちと、ある出来事について自由に感想を話していた時、「ん?」と感じる場面があって、それは、ご本人は自分の感想のつもりで話したことでしたが、明らかにある思想の意見そのものだったんですよね。「えっ!この人はそっちの思想の人だったの」と内心驚いたのですが、以降、この方と話す時は、うっかり地雷を踏まないよう厳重に注意しないといけないな…と感じたという、まぁそんなことがありました。
この出来事から、みんな「これは自分の個人的な意見だ」と言っているけど、実は社会から刷り込まれた思想や価値観に沿ったことをただリピートして言っているだけでじゃないの?…とふと気づいたのです。
特に昭和世代は、自分たちが子供の頃はまだ社会全体に戦争の傷跡が生々しく残っていたし、冷戦時代でもあったから、今よりうんとイデオロギーの影響が強かったと感じるのですよ。私は昭和世代でも後半の方だけど、それでも通っている学校の先生の中に、戦争を体験した先生が何人かいらっしゃったし、反戦ムードが今より生々しくてリアルだったし、テレビやニュースの報道の内容も左か右かでかなり偏っていましたもん。
そんな当時の時代の空気を腹いっぱい吸い込みながら生きてきたから、特にご年配の方ほど、良くも悪くも意識の深部にまで思想が刷り込まれている人が多いように感じます。特に高学歴の人は(高等教育を通して)思想の洗礼をより深く受けているんじゃないかな。何の疑いも持たずに、純真に思想に染まっていて、思想が正解だと信じている…というパターンです。
自分のアイデンティティが確立する前から、ずっと思想に晒されているから、意識の根本的なところまで沁みついちゃっているんでしょうね。意識も気持ちも感覚も、思想できっちりプログラミングされていて、思考回路までコントロールされているような感じなんです。
だから皆さん、判を押したように同じ反応の仕方をするし、自分が信じている思想と異なる価値観の意見が出てくると、猛烈な勢いでつぶしにかかるし(←これもスイッチが入ったみたいに同じ反応…汗)、まぁ、とにかく「議論」が大好きなんですよ。何でもかんでも定義づけて、定義に沿って自論を語り、自分の意見の正当性を証明しようと躍起になるのです。
こういうのに出くわすと、以前の私は「あの人たちのように、私も自分の意見がはっきり言えるようになりたい…」と反省ばかりしていたけど、今は一転して「この人たちは思想に支配されているんだなぁ…」と思うようになりました。
この人たちは、自分の意見を強烈かつ理論的に述べるけど、「あなたはどう思うの?」と気持ち(本心)を問うと、うまく答えられなかったり、自信がなくてモジモジする人が多いですね。素直に自分の気持ちを感じて表現するのが上手くできない代わりに、思想や理論で埋め合わせている感じです。
「自分のハートはどう感じているか?」の前に、脳でバシッとジャッジして、自分の理論を説明し、自論の正当性を熱く語る…という癖がついちゃったのでしょう。
人が生まれながらに持っているもの…柔らかい感性、ふるふると揺れる思い、豊かな情感、温かい気持ち…等、繊細でゆるやかで温かい部分で、じっくり感じてみる…。そんな大事なことを経験させられないまま、大人になってしまったのかもしれません。
目の前のものを「正しいか?間違いか?」でジャッジされると、ホントつらいですよ。こっちは「相手はどんな反応をするかなぁ…」「地雷を踏んだらどうしよう…」と、いつもハラハラです。
イメージとしては、ロボットかなぁ…。どんなに温かく優しく接してくれても、何かの折にポチっと思想スイッチが入ると、とたんに攻撃ロボットに変身する怖さがあります。ちょっとした言葉の使い方でも、すぐにスイッチが入るから、メチャクチャ気を遣います。いつ敵認定されるかわからないので、うっかり心を許すこともできません。常に緊張状態ですよ。
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こんな感じで、思想に支配されている人というのは、世の中にはたくさんいるけど、でも、これから将来的には、思想が社会を牛耳っていた時代は終わり、思想はその役目を終えるんじゃないかなぁ…という気がするんですよね。
こんな緊張状態はそう長くは続かないし、私たちもそう我慢できないから、いつまでも続けられませんよ。だって不自然なスタイルですもん。
今までは、社会だけでなく家庭も教育の中にも「思想」が色濃く反映されていて、人々は大いに影響を受けてきたし、イデオロギーが社会を形成し、社会を揺り動かしていたところがあったけど、今はその逆で、思想は人々の意識の進化や社会の変容を邪魔する厄介な存在になった…と思うのです。
まだまだ思想に縛られている人が多いから、社会的な影響力はまだありそうだけど、でも、長い人類の歴史を振り返った時、いつの時代も、権力者が思想を使って人々を支配し、思想の違いが争いの火種になってきたことを思うと、この思想にいよいよメスが入り、宇宙からの新しいエネルギーによって解体に進むんじゃないか…と感じています。
思想を信じて、思想に沿った受け答えをするのではなく、これからは、自分の感覚を信じて、自分のハートで判断する。そういう時代ですよ。
自分の深部にまではびこっている思想に気づき、それらを一つ一つ抜き取って除去することが必要。思想を取り払うことで、本当の自分が出てきます。
自分らしく生きるために、自分以外のものを取り払って手放し、ピュアな自分を掘り起こしていきたいものです。