森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「本当の自分」を消失させる思想や価値観は、自分から切り離し手放していこう

最近、Twitterを覗いてみて、面白いなぁ・・・と感じるのは、

  1. 純真に自分の「素直な思い」や「正直な考え」をつぶやいている人
  2. 「親や先生から刷り込まれた価値観」や「既成概念」「固定観念」に基づいて、世間の出来事や他人の言動をジャッジした内容をつぶやく人

に二分化されているなぁ~ということ。

特に、2のつぶやきって、最近はリベラルな人たちに多いような気がします。

左系の思考をもっている人って、(自分では全く意識していないかもしれないけど)、思考パターンが画一的なんですよね。

物事の捉え方・受け止め方に「独特の癖」があって、被害者妄想にも近いネガティブな受け止め方をするんです。そして、少しでも自分の固定観念を刺激するものに出会うと、自分を被害者にして、相手を勝手に「加害者」と認定し、加害者となった相手を執拗に叩くんですよ。「世直しのために、正義派の私たちが敵(仮想敵国)を叩く」・・・という観念なんです。

端で見ててもこちらまで気分が悪くなるほど、言葉汚く罵ったり、平気で残酷なコラージュを制作して、これが芸術だ!表現の自由だ!と謳って公開したり・・・等。

その上、左系の人たちって理論武装してリベートで論破することが好きだから、自分の意見をまるで世界の正論のようにまくし立てて論弁し、それで世論を自分の方に誘導するんです。で、自分の味方を増やし、相手の味方や支持者は引き剥がして自分に取り込み、相手を孤立させた上で、執拗に叩くんです。相手がどれほどショックを受けて傷つくか・・・なんてことは一切考えず、ストレートに「憎悪」感情をそのままぶつけてくる感じなのです。

思春期の子供が、親や先生に猛烈に反抗する時みたいな・・・あんな雰囲気すら感じさせます。

しかし、彼らの場合は、それはそれは怖いほど徹底的なんですよね・・・。自分の内面に籠もっている恨みや憎しみを、加害者認定した相手を執拗に叩き潰すことで、発散して憂さ晴らしをしているような・・・そんな感じなのです。

それを、ネットの世界などでネチネチとやっているわけです(汗)。

本人達は「正しいこと」をしているつもりかもしれないけど、自分の意見や支持思想に共感しない人・賛同しない人は、「敵」と見なしてまた攻撃対象にしていく・・・というパターン。まさに恐怖政治ですよ。これ、リベラルな人たちの特徴だと思います。

最近、こうした人間の思考癖や反応パターンにTwitterを通して出会うようになり、まだこのやり方にしがみついている人がいるんだ~と、その多さにビックリしました。

この様子を横からじっと観察していて、しみじみ思うことは、

人って、刷り込まれた価値観にかなり侵食されているんだなぁ・・・

ということ。

私が以前(15年くらい昔)、地元の自治体から委託されて某ボランティアの端役を仰せつかったことがあるのですが、そこで強烈なリベラル系のフェミおばさんたちと出い、かなりガンガンにやり合ったことがありました。

そのとき、私は、何故か、リベラルおばさん達に敵認定されてしまい、ロックオンされて大変な目に遭ったのですよ(汗)。

しかし、社会は、あの頃と全く変わらず。リベラル系の人たちは、あの独特の思考癖と傾向を今も振りまき発揮しています。ホント昔のまま・・・。世代は変わっても、同じパターンを代々継承しているみたいで(汗)、やってることはほぼ同じ・・・。思考パターンも責め方もやり口も全く同じで、同じことをグルグル繰り返しているのです。

ちなみに、リベラルな人たちは、自分たちの感覚や思想は、保守派の人たちより「新しい」「正しい」と自負しているかもしれないけど、いやいや、リベラルは「正義」ではなく「思想」の一つでしかありません。それに、令和となった今、そう新しいとも言えないと思うのです。

左傾な思想は、第二次世界大戦後に世界中に一気に広がり、日本社会でもかなり強い力をもって人々の意識を統制していた時がありましたが(私が子供だった頃は、社会全体の雰囲気がかなり左傾で、神社や天皇様のことを肯定的に話すだけで「右」だと言われるくらい酷かったのですよ・汗)、時代は随分変わったのに、リベラル系の思考パターンは、昔のままなんですよね。そういう点では、実はすごく古臭かったりするのですよ。

それに、リベラルにはまっていると、物事を深く洞察しなくても、即、敵味方を作って、敵認定した相手を延々と責め続けていけばいいわけだから、反省もしないし、自己分析もしないし、ただ意識を外へ外へ向けて吠え続けるだけなんですよね。

敵認定できるターゲットを探し出し、自分が被害者だということを免罪符にして執拗に残酷に相手を責め続けて、相手の立場を侮辱し、自分の行動を正当化しているのです。

そして、リベラル派がやっていることは「正しくて良いことなんだ」ということを、子供時代や学生時代に学校や社会で刷り込まれている人が多いから、それが当たり前になっちゃって、余計に自分たちのおかしさに気づかず、これが絶対に正しいと信じて疑いません。それが今に至っているというわけです。

だから、リベラル系の人たちの主張を見ると、時々、辻褄が合わなかったり、二枚舌だったりします。過去の自分の発言に一切責任を持たないのも、左系の人たちの特徴なんですよね(汗)。その時その時で調子の良いことを言っているから、そこは、ある意味、すごく興味深くて面白いなぁ・・・・と思います。

自分は被害者側であることを強く主張して、それを「盾」にし、相手を敵と見立てて、すごく残酷なことも平気でやっちゃうのに(相手を模したものを叩いたり、焼いて踏みつけたり、破ったり、切り裂いたり、執拗に執念深く責め続けたり・・・等)、自分が加害者の側に立つことになると、今度は保身に走って逃げて誤魔化し、都合が悪くなると話をすり替えて逆ギレし、自分に意見した人をまた敵認定して反発して抵抗し続けたり・・・。

相手には「謝罪をしろ」と執拗に責めつつ、自分の失敗は一切認めず絶対に謝らないというダブルスタンダード(汗)。もともとプライドの高い人たちが陥る思想なのかもしれませんが、やってることと言ってることが真逆すぎて、もう滅茶苦茶なんですよね(笑)。

 

こんなことが、Twitterの世界で毎日繰り広げられていて、そんなツイートが私のところに流れ弾のように毎日いろいろ流れてきていて、Twitterを開くだけで、ずらずらと出てくるわけです。

最初は「社会勉強」と思い、真面目にコツコツと読んでいたけど、途中からだんだん嫌気がさしてきてアングリしてきました。あんまり酷いヤツは即ミュートです。

社会に関心を持つことは大事だと思うけど、情報収集のために・・・と、自分の気分を害してまで無理に繋がる必要は無いですよ。

純真な気持ちや素直な思い、正直な意見や世界の真実、自分にとって必要な情報ならば、こちらも快く受け入れられるけど、刷り込まれた価値観のダダ漏れ&被害者妄想で真実からかけ離れたことを吹聴する&こだわりや固定観念で敵認定した相手を汚く罵り貶すようなツイートは、読んでいても息苦しくなるだけなんですよね・・・。

 だから今は、私の判断で、切り離したり手放したりすることにしました。

 こういう取捨選択も大切なことです。

 でも、最近は、確かに、前述した2の人がまだ社会的に力を持っているけど、2の人たちが発信したことに対して、1の人たちがナチュラルに率直に「それ変じゃね?」と意見できるようになったこと・・・。また、、そんな1の人たちが増えていること・・・。これが喜ばしいことかな。

天然に素直に感じたことを伝えているだけで、別に「差別」でも「攻撃」でも「敵」でもなく、思想的に縛られていることもなく、心は自由なのですよ。

そんな自由な心から、社会全体を眺めると、自由と平和と平等を謳っているはずのリベラルな人たちの方が、非常に窮屈な箱の中に「意識」と「思考」が収まっていて、視野が狭く、言っていることも画一的で、個性が全く感じられないのですよ・・・。唯一、伝わってくること・感じことは、いつも機嫌が悪くてプリプリ怒っている姿と強い攻撃性、好戦的な態度。理屈ばかりで、絶えず「型」にはめようとしていて、全然、自由じゃ無い・・・。そういう感じなのですよ。

個人でその人の本質を見れば、とても良い人で素晴しいのだろうけど、イデオロギーや思想にはまると、とたんに面倒臭くてつまらない人になり下がる・・・。そんな矛盾点やねじれ・歪みが明らかになり、「おかしい」と声をあげる人が増えてきて、今まで闇に葬られてきたことがどんどん表沙汰になってきたのは、今の新しい時代のエネルギーのお陰なのかもしれません。

イデオロギーや思想の鎧をガッツリ着て、自分をより良く「賢く」見せようと頑張る時代は終わったのだと思います。もう、古い時代の刷り込みや価値観を手放す時なのだと思います。

これからは、既成の思想やイデオロギーに縛られず、純真に「自分の気持ち」「素直な感覚」「正直な考え」で勝負すれば良いのですよ。

モノだけでなく、思想もイデオロギーも単なる「価値観の刷り込み」だと認識し、それらに縛られないことです。もしも、それらが原因で「自分らしさ」を消失させているのであれば、自分を取り戻すためにも、どんどん手放していくことです。

こうして、また更に身軽になっていくことが、これからは特に大切だと思います。

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神社の例祭でいただいた御神酒。春慶塗の杯にちょこんと乗っているのはスルメ(寿留芽)です。