昨夜、大阪から帰ってきました。
関西では日中20℃前後だった気温が、こちら(高山)に帰ってきたら、なんと2℃前後。しかも、今朝は氷点下だったようで、とっても寒く感じました。
実は、今回は個人セッションのために大阪に行ったのですが、その間、ちょっと足を伸ばして「広島」にも行ってきました。
大阪からだと、広島まで新幹線で一時間半。
時間的にみると、とっても近いのですね~。日帰りでも充分に行ってこられます。
ですので、大阪滞在中に、日帰りでサクッと広島に行ってきました。
◇◇◇
実は、数ヶ月前からずっと広島に呼ばれている感がありました。もしかしたら、ずっと前から・・・。何年も前からかもしれません。
だけど、私は子供の頃から戦争遺稿のある場所が苦手で、広島はとてもじゃないけど行けない場所でした。実は沖縄も、なぜかとても怖くて行けない場所です。(今も行ったことがありません・・・)
ところが数年前から少しずつ「怖さ」が薄らいできて、「今なら行っても大丈夫かも」と思えるようになりました。そして、大河ドラマで「平清盛」を見てから、宮島に行ってみたいと思うようになり、4年ほど前に、大学生になった子供と一緒に遊びに行ったことがありました。
このとき、せっかく広島に来たのだから、原爆ドームも行ってこようかな・・・と思ったのですが、子供が非常に怖がって「どうしても行けない。絶対に無理。」と言います。このとき、「ああ、(うちの子も)私と同じなんだな・・・」と思い、見送ったのです。
子供も私と同じ感性の持ち主なので、戦争遺稿に行くといろんなことを察して感応するんだろうな・・・と思いました。それで、子供の気持ちがよくわかる分、あまり無理強いしないでそっとしておくことにしました。
あれから四年が経ち、そして現在。
最近、急に現実味を帯びてきて、行かなきゃいけない衝動にかられるようになりました。
こういうときは、「どうして?」「なんで?」と意味や理由を問わないで、心のままに行動するに限ります。
ところが、いざ行くための準備をすると、めまいがしたり、気分が悪くなったりして、体調が良くない状態に陥りました。大阪のホテルでも、前の晩から頭がグルグルするし、食欲はなくなるし、体調絶不調にりました。
やばいよなぁ・・・と思いつつ、でも、私は思い切って腹をくくり、広島に向かいました。
もしかしたら、この日は、最初から広島に行かなくてはいけない日だったのかもしれません。
新大阪から新幹線に乗り込み、一時間半ほどで広島駅に到着。このときも、まだ、頭がクラクラして、フラフラしていました。駅で軽く昼食をとり、原爆ドームに向かいます。
バスに乗り、目的地へと向かいました。
原爆ドームがある公園の入り口へ。
たくさんの人がいました。日本人だけでなく、外国人観光客もいっぱいです。平和学習で訪れたと思われる小学生の子供たちもたくさんいました。
見えてきた建物。柵が張り巡らされたこの中に、あの建物がありました。
ぐるりと柵の周囲を回るように歩きます。
迫力あるたたずまいに、息をのみました。
ここで73年前に起きたあの瞬間の風景が、まぶたに浮かびました。
強烈な光。熱。エネルギー。
正気が消えて狂気が広がる…。
恐ろしく悲しい風景。
この碑の言葉を読んでいたら、胸がいっぱいになりました。今から73年前、この街の頭上で、人類史上初めて原子爆弾が炸裂したのです。
言葉はなくても、その存在だけで「破壊」の威力を訴えてきます。
人間のエゴ。傲慢さ。
負の連鎖の末の怒りのエネルギー。
炸裂した恨みと憎しみ。
悲しみと苦難。
人間の心の中にある闇が「力(パワー)」を牛耳るようになると、ここまでの破壊力を発揮するのです。
それは際限の無い「力の誇示」。
終わりのない憎しみのループ。
そんな人間の未熟さが、ここに原爆を落としたのです。
この柵の向こう側は、73年前のまま時間が止まっているように感じました。
柵のこちら側は、21世紀の「今」なのに、このドームの中は永遠に「破壊の世界」のままなのだなぁ・・・と。
ここに来るのがずっと怖かった・・・。
どうして怖かったのか…?
自分でもよくわからないけど、でも、子供の頃からここに来るのが怖くて、ずっと逃げてきました。
高校の修学旅行も、偶然、私たちの学年のときだけ東京方面になってしまい、行かずに済みました。(私たちの学年の前後は、やっぱりずっと広島でしたが・・・)
先生になってからも、私が在職中は何故かここが修学旅行の目的地になることはなく(私が退職してから広島になりました)、ずっと訪れることなくいられました。
私が行ける状態になるまで、ずっと遠ざけてくれていたのです。
こうして私の心の準備が整い、今ようやく訪れることが叶いました。40代最後の今、ここに来ることができて良かった・・・。
何かがふっきれました。
今は、美しい公園の風景の一部分になっているけど、ここまでに至る過程で、多くの人々の涙と葛藤があったことでしょう。
人の命がつながり、今に至り、平和の祈りの場所として美しい風景の一部分になりました。
魚座時代の愚の骨頂の産物。
人々のネガティブさ。支配と服従のパワーバランス。
その関係が崩れたときのもろさ。
人の心の弱さ。
怒りと憎しみ。
悲しみと祈り。
今の私は、人間の未熟さや人類の悲しい歴史も、ちゃんと正面から受け止めることができる・・・。感情に飲まれず客観的に俯瞰して受け入れることができる・・・。
ああ、私も成長したんだな・強くなったんだな・・と思いました。
橋を渡って、平和記念公園へ。
紅葉が美しい素敵な公園でした。
此岸から彼岸を眺める。
公園のベンチに座って、少し休憩。
ドームの前では大丈夫だったのに、まあ頭がクラクラして、めまいがしました。何も考えられない状態・・・思考力ゼロ。
ただ感じるままに歩き、動いている・・・という不思議な状況。
でも、ここはとても心地よく気持ちの良い場所だということは、肌で感じてわかりました。
慰霊碑に手を合わせ、原爆ドームに向かって黙祷しました。
元安川の風景。ゆったりと滔々と川が流れていました。この時ふと、大阪の街の風景と似ているなぁ・・・と思いました。
川がある街は風情があり心落ち着きます。