数日前、氷点下の寒い朝を迎えたり、雪が降ったり・・・等。
いよいよ冬が来たーー!
・・・と覚悟したのですが(汗)、またまた「穏やかな冬」に戻ってしまいました。
昨夜は土砂降りの雨。
そして今日は、風が冷たいものの、時々、お日様が顔を出していました。
雪かきの心配がいらないだけでも、本当にありがたいです。
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年越しといえば・・・。
除夜の鐘が鳴る深夜、夫と共に地元の神社に行き「元旦祭」に初詣するのが毎年の恒例行事になっています。このときは、神社の社殿の中に入らせてもらえるので、目の前で元旦祭の厳かな神事に触れることができます。神様に会わせていただき、去年のお礼と新年のご挨拶を氏神様に申し上げるのです。これに参加すると背筋がシャキッとして、気が引き締まります。とても清々しい気分になれるのです。
夫は子供の頃から毎年欠かさずお参りしているそうで、結婚後は私も一緒にお参りするようになりました。
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実はこの参拝のとき、私はいつも神様からメッセージをいただいていました。私の心の中で、神様からのメッセージをイメージで受け取り、それを言葉に訳して感じとっていました。お参りを始めて数年後からいただくようになったのです。
それは、国家のことや時事問題や社会的なこと等々。 私個人へのメッセージというより、「こういう一年になる。その心づもりでいなさい。」という感じのものが多かったです。これを受けて「そうか、今年はそういう一年になるんだなぁ」と心の準備をしてきました。
ところが、いつからか(2~3年前ぐらいからだったかな?)、神様からのメッセージをいただかなくなりました。神様から「もう、要らんやろ」と言われて、それ以降、メッセージはピタリとなくなったのです。
今は、ただエネルギーを感じるだけです。
最初は「え?今年は無いの?」と驚きましたが(汗)、確かに、もうこれからはメッセージは要らないかも・・・と思いました。
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以前の私は、メッセージを受け取ることが喜びで、それをいただくことで「自分の存在価値を認められた」ような気分になりました。
でも、それから「自分らしく生きる」ことに取り組み、コツコツ精進していったら、「特にメッセージなどなくても生きていくのは平気かも・・・。何が起きても、何があっても、その時々で自分で判断し、決断し、私は私らしく生きていけばいいだけのことだから。怖いものはない。」と思えるようになったのです。
すると、別にメッセージをもらえなくても大丈夫。そんなことで崩れる自分じゃない。何があっても、きっとなんとかなる!私は乗り越えられる・・・と心から感じるようになりました。こんな風に考えられるようになったということは、私もそれなりに成長したということです。つまり「メッセージに頼る」というステージ(段階)を卒業した・・・ということです。
こうして、旅先でわざわざ神社仏閣の聖地巡りすることは「もう必要ないかも・・・」と感じるようになりました。もちろん、地元の氏神様の神社や檀家になっているお寺さん、その他、ご縁を感じる神さま仏さんのところはお参りにいきますが、『メッセージを求めて聖地巡り』・・・みたいなことには、全く興味も関心も無くなりました。
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呼ばれる聖地も、私のエネルギーが変化していくのに合わせて、どんどん変化・変容しています。そして、特に宗教施設でなくても、例えば、先月訪れた原爆ドームや平和公園など。その他、普通の公園や、川や建物・・・等。特別なところで無くても、そこに心引かれて心穏やかになるのなら、そこが「私の聖地」だと思うようになりました。
こんな感じで、「聖地」は有名かつ特定の場所ではなくなり、そのときの私の状態によって、いろんな場所に変化するようになりました。
もう、「ここ!」「あそこ」と決める必要も無いみたいですよ。
社会的に有名とか、たくさんの人に支持されているとか、参拝者が多いとか、テレビや雑誌で紹介されたとか、知名度など、そういうことも、今後は関係ないみたいです。
「聖地」に対する概念も、個々によって分かれていくのでしょう。あの人が良いと紹介したから・・・ではなく、自分が実際に行ってみて体験して「自分のエネルギーが必要としているところか?」を判断する・・・。そういうスタイルに変化していくと思います。
今後は、「先入観」「固定観念」や「決めつけ」は必要なくなっていくので、どんどん外れて、人の心は自由にフラットに大きく変化していくと感じます。
これは私だけでなく皆が…です。
そして、人は人、自分は自分。
自分にとって必要な場所も、自分で見つけて自分で決めて判断していくようになっていくと思うのです。
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人が「良いよ」と勧めてきても、自分にはピンとこないということもあります。
そのとき「そこで人の意見に流されるのか?自分で判断して決めていくのか?」←ここが大切なチェックポイントです。
これからは本当の意味で、それぞれが従来の既成概念に縛られず、人の意見にも縛られず、自由に自分の感性で選択し、自分の判断を信じて尊重していく・・・そんな時代になっていくのだろうと思いました。
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「聖地」に対する概念も、これからは刷新していく必要があります。
有名な場所&評判のいい場所だけでなく、え?ここ?というような無名な場所であっても、自分に必要ならば大切な場所なのです。
ちなみに、私が住んでいる町は、小さな聖地がたくさんあります。
自然が多いところだから、至る所に自然の崇高なエネルギーが流れています。
でも、それは私にとっての聖地であり、人には分からないかもしれません。
自分に良いからとそれを人に勧めて押しつける気も全く無いし(笑)、人によっても、感じ方が違ってくるから、一概に「ここ」と断定できなくなっています。
要は、自分の聖地は自分で見つける・自分で築く・・・そういう時代になったということでしょうね。
人に自分の聖地を見つけて(作って)もらうものでもなく、また、人が見つけた(作りあげた)聖地にちゃっかり便乗してタダ乗りするのでもなく、人に「自分の聖地はどこですか?」と聞いて回るものでもなく、これからは、自分で見つけて自分で作り上げていくことが大切になるのでしょう。
同じ場所にいても、同じ風景を見ていても、人によって「感じ方」も「受け止め方」も全然異なります。あるいは、人によって感性(感じ方)の違いもあります。放っているエネルギーも人によって全然異なります。だから、同じ場所にいても、人によって多様な感じ方が出てきます。人と自分は異なる存在だから、人と感じ方が違って当たり前です。
そう考えると、今後は、横並びで周りと歩調を合わせていくことが「愚かなこと」となり、人と一緒・人と同調・人のまねをする・・・というやり方はもう通用しなくなるでしょう。
自分のオリジナルを大事にしていく・・・。
それは心の中も同じくで、自分の心で感じること・感じ取ることも、自分の大切な宝物のとして尊重していくことが、これからは大事なのだと思います。