森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

古いアルバムの写真から思い出した家族の軌跡

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先日、久しぶりに我が家の古いアルバムを見ました。

 子供が小さかった頃は、よく写真を撮っていました(現像して実家の両親にプレゼントしたり、アルバムに整理して大切に保管していました)。でも、子供が大きく成長していくに従って、カメラで写真を撮ることもなくなっていき、スマホ時代になったら、もうカメラ自体、使わなくなってしまいました。

ところが先日、ちょっとした用事で昔の写真が必要になり、そこで本当に何年かぶりに昔のアルバムを開いたのです。

20年以上昔の写真をみましたが、子供も小さかったけど、もちろん私も若かった~!そして夫も・・・(笑)。こうして改めて過去を振り返ってみると、この20ウン年間、本当にいろんなことがあったなぁ~と懐かしく感じたのでした。

そして、ちょっと衝撃的だったことが・・・。それは、昔の私(20代~30代)は、今の私(アラフィフ・50代)よりもウンと老けて見えた・・・という点。そうなんです・・・見た目も雰囲気も、昔の私は何だか疲れて果てていて老けていました。

お肌は当然(今の私より)若くてきれいなんだけど、服装やヘアスタイルがオバサンっぽくて、とにかくダサい・・・(汗)。一番美しく輝いているはずの20代・30代なのに、地味で暗いのです。この当時の私の写真を見ると、「自分を抑えている」感が強くにじみ出ていました。

その一方で、もう一つビックリしたのが、昔の写真に出てくる義母の顔つきが、とてもキツくて怖そうだったことです。確かにあの頃の義母は、何かに取り憑かれているんじゃないか?と思うほど、強烈なネガティブ思考でキツい性格でした。

昔の私は、いつも義母のネガティブシンキングの「はけ口」になっていて、毎日、義母からエネルギーを抜き取られて(「搾取」と言った方が近いかも・・・汗)いました。当時の義母の写真には、義母の気の強さとプライドの高さがにじみ出ていて、今の私も「避けて通りたいくらい」に怖い雰囲気でした・・・(汗)。当時の私は、「若さ」を犠牲にして、この家に自分の「若さ」を生け贄にして差し出して生きていました。

私だけでなく、夫も、自分の命のエネルギーを自分の両親に差し出して、自らも「親に安心を与え、親の情緒を安定させるための『生け贄』」になって生きてきたのだと思います。今は信じられないかもしれないけど、昭和時代の価値観だと、これが当たり前で普通の感覚だったのです。そして皆が我慢して生きているのだから、私たちも我慢しなくてはいけないと思い込んでいました。

ところが、そんな私も40代に入って以降、「自分の人生を改善しよう」と思い立ちました。もう「犠牲」も「生け贄」も嫌だと思ったのです。

そこで、私は家を出て一人旅に出るようになったのです。ちょうど子供も自立して親から離れていった時期だったので、私は時々家を出て「自由」を満喫するようになりました。最初は散々嫌みを言われたり、影でいろいろ悪口を言われたり、酷いこともありましたが、このまま義両親に気兼ねして、この家に閉じ込められて生きていけば、間違いなく私の心は死ぬ・・・と思いました。だから、死を覚悟して(離縁も覚悟して)、一人で出かけることにしたのです。

それが私の40代の取り組みでした。誰かにアドバイスされてやったのではなく、私が本能的に「こうしたい」と感じてやってきたことでしたが、後々、サイキックカウンセラーのマックス・コッパさんのセッションを受けたとき、この取り組みは「スピリチュアル・ワークだった」ととても褒めてもらいました。そして、「もしも、このスピリチュアル・ワークをこの時やっていなかったら、今頃、あなたの人生は非常に悲劇的なものになっていたでしょう」とも言われました。

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 うん・・・確かにその通りです。あのまま生きていたら、私は今頃、この世に居なかったかもしれません。あるいは、心身を崩壊させて入院措置でどこかの病院に入っていたと思います。それくらい悲惨だった20代~30代だったのです。

でも、40代の時、このままではヤバイ!と感じ、私は見失った「自分」を取り戻すために、勇気を振り絞って衝動的に「一人旅」をしてきたのです。そして私は、あの取り組みのお陰で、少しずつ自分を取り戻し、安心できる居場所を得て、今こうして明るく生きています。

スピリチュアル・ワークに取り組んだ10年間は、良いことも辛いことも沢山あったけど、こうして振り返ってみると、失うものより「得るもの」の方がとても多かったです。本当に不思議なのですが、数々の障害を振り切って「一人旅」に出かけるごとに、夫が目覚め、家の中のエネルギーが浄化され、夫も自分を取り戻し、義母も別人のように変わりました。昔のプライドの高さと性格のキツさがスーと消えてしまい、今はケラケラとよく笑う明るくて丸い性格のお婆ちゃんになってしまいました。

そして私自身も大きく変わりました。昔は自分に自信が無くて、オドオドしたりクヨクヨすることが多かったのですが、今の私は、昔のようなオドオドした部分が消えて、自分に対する信頼が少しずつ増していき、前より自分が好きになりました。自由にお洒落を楽しむようになり、何をするにも誰かの許可を得ずに自分でしっかり決めて行動できています。

(ちなみに、今は、私も夫も、自分で自由に選択・決定して自由に行動していますが、昔は何をするにも義父母の許可が必要でした。義父母が承認したこと以外は絶対にしてはいけない・・・という状態でした。もちろん私たちには決定権や選択権は一切なく、全て義父母が決めたとおりに黙って従って生きなくてはいけませんでした。逆らったり意見することも許されませんでした。←これが義父母にとっての『理想的な三世代同居の家族のかたち』だったのです。)

こんな状況だったので、私が一人旅を自分で決めて出かけていくことは、義父母にとっては信じられない出来事で、義父母の価値観だと「非常識な行動」だったのですよ(笑)。でも、当時の私は、義父母の価値観に合わせて生きて行くことは無理だと思い、私一人でもそこから抜け出すことを考えました。それが「一人旅」だったのです。

決死の覚悟での脱出劇・・・。大げさかもしれませんが、それくらいの覚悟で出かけました。

私が出かけている間、家に残った夫は義父母からネチネチ嫌味を言われていたようです。でも、考えようによっては、これって義父母のご機嫌を悪くさせる私が悪いのではなく、夫と義両親の間にある「親子関係の問題」が原因なのです。それを嫁の私に割り振って「嫁のせい」にしているだけの話で、本当は夫が自分の親と正面から向き合い、親子関係の歪みを改善させていくべきこと・・・だったのです。

なので、私は、自分が感じること&素直な意見を正直に夫に伝え続けました。「この居心地の悪さは、最近出てきたことではなく、もともとこの家の中にあったもので、家族関係の歪みが原因なんだよ。これは、私じゃなくて、あなた(夫)の家族の問題なんだよ。実子のあなた(夫)が、自分自身の問題として捉えて、自分の親とキチンと向き合い関係を再構築していくべきことなんだよ。これは、嫁の私が引き起こしている問題ではないし、むしろ私は全く関係がない赤の他人、外部者なんだよ・・・」と。

これも、ある意味「スピリチュアル・ワーク」だったと思います。私が加わることで単なる嫁姑問題で済まされてしまう問題でしたが、でも、この問題の本質は、完全に「親子関係の歪み」が原因であり、「義父母の気質の問題」であり「親から刷り込まれた価価値観&先入観」が発端なのです。そこで、それを正直に伝えて、自覚してもらい、根本から取り組んでもらうように促しました。すべては私自身の居心地のよさを追求しての言動だったのですが、でも、これも俯瞰して見れば、ある意味「スピリチュアルワーク」であり「導き」でした。

義父が亡くなった後もいろんなことがありましたが、それらを乗り越えるべく、夫が義母に正面から向き合うようになりました。思ったことをハッキリ伝え、義母に意見を冷静に伝えて怯まなくなったのです。結果、義母が逆上し怒りの矛先を夫に向けても、夫は逃ずに義母ときちんと立ち向かいました。そして義母を怖れなくなり、本音で話ができるようになっていきました。そこから、夫と義母の関係が動き出し変わり始めたのです。

その後、夫だけでなく、義母も変わっていきました。夫は精神的に強くなり、心の器が更に大きくなりました。それに合わせて、義母も丸くなり人相も穏やかで明るくなりました。そして私もようやく安心して家の中に居られるようになれました。これが私の40代の歩みです。

そんなことを、昔の懐かしい写真を見ながら、ふと思い出したのでした。

スピリチュアルワークというと、オーラを見るとか、リーディングやチャネリングとか、スピリットの交信とか、そういう神秘体験だけだと思い込んでいる人も多いのでしょうが、自分の人生を何とかしようと格闘すること…これもスピリチュアルワークなのです。私は、今世を生き抜くために、また、今世を生きやすくするために、夢中になってスピリチュアルワークに取り組みました。心の声に従って行動しましたが、きっと私のハイヤーセルフとスピリットの導きだったと思います。

理屈を越えたところで、心が求めることを追求していくことも、尊いワークだ・・・ということです。

ちょっと自分語りをしてしまいましたが(汗)、こうして振り返ってみて、ホント40代の自分、よく頑張ったなぁ~と思います。あの時の自分の決意と覚悟に心から感謝しています。