森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

人にわかってもらおうだなんて期待してはいけない

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人が伝えようとしていることを、的確に・・・かつ正確に「ありのまま」をそっくり受け止めることは、実は非常に高度で難しいことなのかもしれない。

多くの人は、自分の主観というフィルターを通して、人の話を理解する。

例えば、私が「私は霊的哲学に沿った生き方を実践している人と繋がり、仲間になりたい」と伝えたとする。

すると、それを聞いた(読んだ)人は、私が発した言葉の中の『仲間』というセンテンスについて、個人的な認識&理解を脳内で展開させる。『仲間』と聞いて何をイメージするのか・・・ということである。そのイメージ(認識)が「フィルター」として働き、この「フィルター」を通して私(発言者)の話を理解していくのである。

実はこのフィルターが結構「曲者」で、100人居れば100通りのフィルターが存在する。それは個々の過去の体験や親から刷り込まれた価値観、学んで吸収した知識・・・等がおり混ざり、更に、過去の個人的な記憶や感情、自分の本音と建て前・・・なども加えられ、それらも「フィルター」の一部として機能していく。

こうして、人は自分がもっている個々のフィルターを通して、他人の話を理解しようするのである。そのため、公平かつ正確に受け止めることが難しくなる。フィルターが強固にあればあるほど、発言者の意図や真意とは全く異なる勝手な理解になってしまう。そして、発言者の真意とはかけ離れた内容に変換されたものが「発言者の真実」としてその人の脳内にインプットされるのである。

 

例を挙げれば、上記に挙げた私の「・・・という人と繋がり仲間になりたい」と言う言葉を聞いたとき、ある人は「そうか~仲間がいなくて孤独な人なんだ」と大きく歪曲して受け止め、またある人は「仲間になりたい?じゃあ私がなってあげても良いわよ。」と上から目線の勝手な解釈をする。またある人は「友達がいない淋しい人だから仲間を欲しているんだね。」と勘違いを暴走させて同情し始める。

私は単に「霊的哲学に沿った生き方を実践している人と仲間(=霊的家族)として繋がりたい」と言っているのであり、「友達が居なくて淋しい」わけではなく、「誰でも良いから仲間を作りたい」わけでもない。また「孤独だから仲間が欲しい」と思っているわけでもない。でも、「仲間になりたいと発言する人」=「友達がいない人」=「孤独で淋しい人」という思い込みで生きている人たちは、そういう安直な理解のこじつけをして、人の話をねじ曲げて理解するのである。

これは特殊な例ではなく、人間が二人以上集まれば、どこでも普通に起きていることである。たとえ血を分けた親子間であっても、こうして認識のズレはよく生じるものだ。それが人間関係のトラブルの原因となり、もめ事や問題の要因になっている。だから、問題という心の修行の場が与えられるのだけど・・・。

こんな感じで、この世界には誰一人として、自分が発言した言葉の真意を正しく心で受け止められる者はいない・・・と理解しておくと良い。まさに、この世界は個々の誤解と妄想で成り立っている・・・と言っても過言ではないだろう。

だから私は、もう随分昔から、人間関係においてはとうに諦めている。

自分を分かってもらおう、理解してもらおう・・・と願っても、人間に対しては100%無理である。自分のことをキチンと理解してもらえると期待してはいけない。そんな人間はこの世界に誰一人としていない。脳が「認知」と「理解」を司っている限り、誰一人として的確に相手のことを認知して理解することは不可能だと皆が認めるべきである。そう、親兄弟であっても、親密なパートナーであっても、親子関係であっても、人である以上、皆が自分のフィルターをもっている存在であり、100%ピュアに相手のことを理解することは不可能なのである。

また自分自身も、他人のことを100%正しく理解しているわけがない・・・と正しく認識しておくことだ。他人のことを100%理解していると豪語した時点で、それは単なる傲慢さとなる。たとえ自分の子や孫であっても、その子のことを全て正確に理解していると思い込んではいけない。また、自分は子供の全てを知っていると決めつけてもいけない。自分の子供や孫であっても、親の知らない世界を子供が持っていて当然なのだ。その辺りの感覚が分からないと、人としての距離感が掴めず、人の大切な心の聖域にずかずかと土足で入り込むことになり、人の心を深く傷つけることになる。

全ての人が、他人のことを100%理解することは不可能である・・・という現実をしっかり認識した上で、この人間社会を生きることだ。また自分自身を100%理解してくれる人なんてこの世いない・・・という事実もちゃんと理解しておくことだと思う。その上で、どうせ何を言っても何をしても、他人は自分の都合の良いように解釈して勝手に間違った認知をするのだから、それならば開き直って、自分の魂の声に沿って自由に自分らしく生きることである。自分が発言することは、全て「自分の真実」だというように、正直に自分を発信し続けること・・・。これを心がけると良い。

 

この世界に誰一人として私のことを理解できる者はいないし、第一、自分ですら自分のことを理解しきれていないのだ。それなのに誰が自分のことを正確に理解してくれるというのだ。そういう期待は早く捨てて、「自分を知る」ためにこの人生を生きるべきだ。

そして、人間は脳がある限り、何をするにも低速になりレベルが低くなる。認識のフィルターを通して脳で理解し行動することの「限界」も知っておくことだ。

脳を越えて、ハートで感知する・心でキャッチする・魂で受け止める・・・。言葉では表現できないものを、自らのエネルギーを使って伝える・送る・受け止める・感じる。それが自由に出来るようになることが、これからは大切だと思う。

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今日のお散歩で見つけた白い羽。