ここ最近、身近なお年寄りの姿から「高齢者の人生模様」をいろいろ垣間見せてもらっています。
そんななかで特に、パートナーの老衰や死別について深く考えさせられる場面を、たくさん見かけるようになりました。
60代・70代・80代の前半は、まだおご夫婦共に元気で溌剌としていても、80代の後半にさしかかると、だんだんと体力が衰え、そのうちにパートナーのどちらかが病気に倒れたり、つまずいて怪我をしたり等、健康面の不調が出てきます。
また更には、軽い物忘れに始まり、そのうちに「短期記憶の消失」が進み始め、やがて「認知症」へと、だんだんと症状が進んでいく人もいます。
年を取れば取るほど、カラダ(肉体)は劣化していくのだし、皆が平等に老化していくのだから、当然のごとく「老衰」も「死別」も絶対に避けられないことです。
誰しも、性別問わず、皆が「更年期」を過ぎた辺りから、徐々に「老化」が進んでいくので、これは自然現象であり、仕方が無いことなのだ・・・と客観的に受け止めなくてはいけません。「自分だけ特別」なんてことはないのです。「財産の有無」も「名誉」も「肩書き」も生老病死には関係ありません。
人として生きていれば、皆が等しく受け取ることなので、ありのままを受け入れて、ポジティブに付き合っていくしかありません。
でも、私の周囲のお年寄りを見ていると、大きく二極分化されているように感じるのです。
「自分の現実を素直に受け入れている人たち」は、今の状態(自分の老化)をありのまま素直に認めて、現状に合わせていろいろ工夫しながら、明るくポジティブに過ごしています。こういう人たちは、気持ちに裏表がなく陰がないので、若い世代の人たちからも好かれて人気があります。
かたや、「いつまでも過去の自分に執着し、今の自分の状態を絶対に受け入れようとしない人たち」は、今も現役時代の【良かった頃の状態】でありづけようと自分や家族に無理をさせる傾向があるようです。
特に、プライドが高い男性&良妻賢母で家族に仕えて頑張ってきた女性。この組み合わせが、何かあったときに一番崩れやすいようです。この場合、どちらも「世間体を気にする」気質なので、世間体が悪いことは絶対にしない・・・と無理してしまうのです。
例えば、パートナーとどちらかが、病気や認知症で具合が悪くなっても、「具合が悪い姿を人に見せるのは恥ずかしい」ということで、絶対に外に「家族の具合の悪さ」を漏らさないよう、必死になって隠すのですよ。今の80代前後の世代には、そういう価値観の人が多いように感じます。
これは家族に対してだけでなく、自分の具合が悪くなった場合も同様です。
世間体を気にして「年を取ってみっともなくなった自分の姿を人に晒したくない」と思い、家に閉じこもったり、外出を避けたりして、その鬱憤を家族にぶつけることもあるようです。
本当は、年を取って具合が悪くなったのなら、「隠す」のではなく「オープンになって助けを乞う」ことが大切だと思うのですが・・・。
これは知人から聞いた話ですが、80代後半のご夫婦で、奥さんが軽い認知症になり、話が噛合わないことが増えてきたそうです。
すると、長年連れ添ってきた旦那さんがイライラし、「そんなこともわからんのか!」と腹を立て奥さんに怒るようになったそうです。しかも、奥さんの今の状況について、他者に相談することは全くなく、放置状態だとか・・・。
そのうちに、だんだん家族関係が上手くいかなくなり、奥さん自身も被害者妄想が出てきて家の中に居づらくなり、早朝から夕方までずっと外に出て自宅の門の前に立つようになつたそうです。
本当なら、認知症専門の医療機関を受診するとか、早めに介護認定を受けて奥様をデイサービスに通わせる方が、何より奥さんのためになると思うのですが、ご主人が昔気質の頑固な人で、とてもプライドが高く、家族が認知症であることを絶対に認めたくない・・・そうで、なかなか難しいだろうとのことでした。
(周囲が心配していても、当の本人達が困っていないと、外部は助けようがないのです。困った状況になったら、世間体など気にしていないで、人の噂に立っても良い覚悟ですぐに「ヘルプメッセージを出す」・・・これ、とても大事なことです。)
この奥さんも、ずっと気難しい旦那さんを一生懸命に立てて、ずっと「良い人」で生きていらっしゃった方ですが、老齢になると「良い人」を維持していくのは難しいと思うのです。
昔の「若くて元気だった頃の自分のかたち」をキープしようとする人がいます。
若い頃は、脳が上手に働いてくれて、自由自在に「良い人の自分」を作ることができたし、家族も家庭に対しても、「自分の理想通りのかたち」になるよう圧力をかけてコントロールすることは、とても簡単で可能だったと思うのです。
でも、肉体が年を取って老化し、若い頃のよう動けなくなり、身体の自由もきかなくなって、脳もコントロール不能になると、昔のような「良い人の自分」も「理想的な家庭」も維持できなくなります。
いやいや、もしかしたら、自分では「良い人」であり「理想的な家庭」を手に入れたと思い込んでいたけど、それは、本当の姿ではなく、脳がコントロールして作り出した「幻想」だったのかもしれません。本物では無かった・・・ということです。
肉体の衰えと共に、制御不能になった身体から、「本当の自分の気持ち」「自分の本心・本音」「自分の魂が欲していたもの」がドロドロと溶け出して、表に出てくるのです。
- 本当はパートナーにこうしてほしかった。
- 本当は私はこう生きたかった。
- 正直なことを言えば、こんなこと、したくなかった。
- こんな所、早く出て行きたかった。
- ここに行きたかった。こんな人に会いたかった。
- 私が本当にしたかったことは、これではなかった。
- 私が本当にしたいことは、これだった。
- 本当は一人で自由に生きたかった。
- こんなものは要らない。
- 私が本当に好きなのはこれ。
- あれがしたかった。
- これが欲しかった。
- もっと私の気持ちに寄り添って欲しい。
- こうしてほしい・ああしてほしい
- 私のことを愛して欲しい ・・・云々
もっと若くて元気な頃に、パートナーと腹を割って真剣に、お互いの気持ちを正直に話し合っておくべきだったのですよ・・・。
自分の思いを、自分の気持ちを、素直に勇気を出し尽くして、腹を割ってしっかり相手に伝えておくべきだったのです。伝え合い、お互いにとってちょうど良い塩梅で収まるように・・・。自分を蔑ろにする者と正面から向き合い、時には闘い、自分の居場所を作る努力をすべきだったのです。
たとえ相手を激高させて大喧嘩になったとしても・・・。相手に理解されずに悔し涙を流したとしても・・・。その時その時に、自分の素直な気持ちを正直にハッキリと言い続けるべきだったのです。
こうして後悔の無い人生にすべきだったのです。
失うことを恐れず、自分を尊重して、誇りを持って気高く生きるべきだったのです。
しかし、多くの高齢者は、パートナーと「話し合う」とか「意見をすりあわせる」とか、そういう文化を持っていません。その代わりに、世間体よく「良い人」で生きていくことが「幸せ」だと刷り込まれてきました。男はこうすべき・女はこうすべき・・・というルールに沿って、その通りに生きてきたのです。
結果、何も言わずに溜め込んで、ずっと「良い人」で居続けたツケが、今、出てきているのですよ。年を取って高齢者になった時に、今まで溜め込んできたツケが一気に出てきて、最後の最後に全てを払わされる・・・ということです。
世間体を気にして「良い人」でいることの罪は重いです。他人に対する罪じゃなくて、これは「自分自身に対する罪」です。
そして、「良い人」で居続けるために、自分にかなりの圧力をかけて自分をねじ曲げている訳だから、これって脳にとっては相当のストレスだと思います。認知症にもなりますよ。
自分で自分に「不必要なストレス」を与え続けているのです。世間体と自分のプライドを守るために・・・。
今の私は、そういうお年寄りの姿をいろいろ見せられていて、「私は今のうちに、自分に正直にクリアに生きていかなくてはいけないなぁ・・・」と強く感じるようになりました。
私が将来、自分の人生に失望して悩まないように・・・と、神様がいろいろな年寄りの姿を見せて私に教えて下さっているかのようです。
◇◇◇
ちなみに、上記の老人とは真逆の「明るくてポジティブなお年寄り」ですが、彼らは、最期の時まで「自分の人生は自分らしく生きる」という覚悟が出来ていて、精神的にとても自立しています。
好奇心旺盛で、年齢に捕らわれず、自分がしたいことにチャレンジします。この時「私は年だから・・・」なんて言い訳はしません。自分の気持ちに素直に寄り添って生きているのです。そして「自分はこうしたい」ということをハッキリ主張します。「自分のこと」がよく分かっているのです。
「自分」を知っているから、迷いも不安もなく、真っ直ぐに「自分らしく生きること」に直進していけるのです。
もちろん高齢なので、身体の具合が悪いこところ・持病も当然もっています。不自由なこともたくさんありますが、そこは上手に介護福祉や医療を利用しつつ、持ち前の「裏表の無い朗らかな性格」で家族以外の人たちとも交流を重ね、密室状態の家の中にじっと閉じこもることはありません。
自分を隠さないでオープンにして、自分を公開した上で「どうしたら良いですか?」と素直に教えを乞うことができます。余分なプライドやエゴがないので、クリアに何でも聞けるのです。
良いことばかりでなく、悪い部分【年老いた自分】【身体の不自由を抱えた自分】【見た目が若い頃より衰えた自分】・・・のことも、ちゃんと客観的にそのまま受け止めていて、「これが自分」と腹をくくっています。そういう人は潔くてカッコいいです。
人目を気にして決めることはなく、自分の感覚を大事にしています。
世間体よりも、「自分の心地よさ」を優先しているのです。
こういう人は魅力的です。年齢に関係なく、誰もが心惹かれます。
年を取れば取るほど手放さなくてはいけないのは「意地」と「エゴ」と「プライド」。これを人生経験を積むごとに削ぎ落として、どんどん手放して身軽になっていくのです。こうして本物の老人になった時には、クリアで裏表の無い明るい心になっていく・・・。これが大事だと思います。
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こんな感じで、いろいろなお年寄りの現実を見させてもらっています。
きっと私は長生きしちゃうのですよ(笑)。だから、これは予習。
予習して、これからの自分の人生について、真剣に考えています。
そして、「今できること」「今すべきこと」に集中して取り組んでいます。