気がつくと、もう6月も今日で終わり。
一年の半分が済んでしまいましたね~。
そして、今日は夏越の大祓。でも、バタバタ過ごしている内に、夏越祓のことをすっかり忘れてしまい(汗)、申し込むのをすっ飛ばしていました。
以前の私なら、キチンと申し込んで、キチンと祓ってもらっていたのに、今回はあまり気分が乗らなくて、気がついたらもう申し込みが終わっていました。
そして、済んでしまったことに気がついても、後悔もなく、残念な気持ちもなく、ただ「ああ、終わっちゃったんだなぁ・・・」と、心はとてもフラットです。
何も感じず、何も思わず、何もしないで済んじゃった・・・ということは、今の私には「必要ない」ということなのでしょう。
決して神様を敬っていない訳ではないし、神様を大切に感じているけど、今回はこの儀式は私には必要なかったのですよ。神様もそれはちゃんと分かって下さっている・・・。
だから、済んだことは、そのまま受け流しておしまい。
こうやって、心に引っかからず、ネガティブに受け取らず、そのままどんどん流していくことが大事なんだなぁ・・・と思いました。
◇◇◇
なんだろう・・・、コロナ禍の半年を過ごしているうちに、自分の感覚がどんどん今までとは違う方向へ流れているのを感じます。
コロナ前の私は、「まずはこれをして、次にあれをして、それから今度はこれをして・・・」という感じで、季節の風物詩や社会の決まり事、定番になっていることを、決められた通りにキチンキチンとこなしていくことが【生きること】であり【人生】だと思っていました。
でも、コロナ禍の中を、(まるで戦時中のような感じで)必死にかいくぐりながら生きていたら、今まで大事だと思っていたことが、だんだん「どうでもいいもの」になっていき、やがて「自分にとって本当に大切なものは何か?」を常に考えるようになったのです。
今では、自分には必要ないと感じるものに対しては「別にやらんでもいいでしょ」と放り出し、自分に必要なこと&自分が本当にしたかったことを優先してやるようになりました。
しかも、何をするにも、逆に何かをやめるにしても、どちらも「コロナ」を言い訳にできるから、決断・決行しやすいんですよね・・・笑。
やりたくてもできなかったことも、「コロナでまた自粛生活が始まったら、もうできないかもしれない」という気持ちになるので、よしやっちゃおう!と前向きにチャレンジできます。ホント、コロナに背中を押してもらっているような感じです。
この半年間、私は(・・・いえいえ、私だけでなく「皆さんも」だと思いますが)、
自分にとって大切なものは何か?
自分がこの人生で本当にやりたかったことは何か?
・・・について、じっくり考え、しっかり見つめ直す時間を過ごしてきたと思うのです。
そして、今、世界の各地で、「本当はこう生きたかった」という思いを声にして、世界に発する人が増えています。自分の本当の気持ちを行動に表わしている人も増えています。
人はもっと自由でいいんだし、もっと楽しく愛に満ちた世界を生きていいのだよ・・・。
・・・そう、多くの人が気づき、目覚めていったのだと思います。
私もそうです。
でも、今も私は、まだ完全に目覚め切れていない部分もあり、ちょっとモヤモヤしています。
例えて言うと、完全に脱皮しきれていなくて、まだお尻の辺りに昔の古い皮が残っていて、そのくっついている皮のせいでスッキリしない、何だか気持ち悪い・・・そんな感じです。
もう少し・・・。もう一息・・・。
だけど、このスッキリしない心地悪さを感じながらも、そこに自分の意識をフォーカスせず、淡々と今を生きること、これが大切なのだと思います。
今日は雨の一日。
お香を焚いて、心穏やかに過ごしたいと思います。
これが私の大祓。香で半年の穢れを祓いますね~。