森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

自分が「これをしたい!」と強く感じたことは、ためらわず勇気を出してやってみる

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最近、面白いことがありました。

 

ちょっと気になることがあったので、「これはどういうことでしょうか?」と何気なく尋ねてみたことがありました。

そうしたら、全く予期しない内容と意味合いの返事が返ってきて、ビックリ。

「え?」と驚きつつ、じっと相手の方の話を聞きました。

 

静かに聞いていたら、相手の言葉のなかに「私の心に引っかかること」がいろいろあり、その時はありがたく話を受け取って、それでその場は終わりました。

 

その後、相手の話を思い出すたびに、何故か私は、すごく感情的な反応をしてしまうんですよね。モヤモヤしたり。イライラしたり、落ち込んだり、悲しくなったり…云々。すごくネガティブな感情が出てくるのです。

その感情を黙って静かに味わい続けました。

味わい続けていくと、だんだん心が苦しくなり辛くなっていきます。

 

でも、こうして自分の感情をじっくり味わいがら、むせ返るような苦しい気持ちの状態の中で、今までの自分を振り返ったとき、やはり私は、似たような場面に至るたびに、相手の反応に一喜一憂し、相手の言葉や態度に精神的に振り回されることが多かったなぁ…と、ハッと思い出したのです。

 

すると、今感じているこの感情的な反応について、「これは、私の脳が勝手に『ネガティブな話』として作り変えて反応しているだけのことで、『真実』を表していることではない」…と気が付きました。

ああ、これが脳の反応なんだなぁ…と。

 

じゃあ、どうして私はこんな感情的な反応をしているのか?

私の脳は何に反応し、どうしてネガティブに作動しているのか?

 

これらが疑問に感じられて、また更に私自身を俯瞰して見つめ直してみたのです。

 

すると、私の中に

「人に褒められたい。人に認めてもらいたい。」

という思いが強くあることにハッと気が付きました。

 

この気持ちが強すぎるから、相手の話を聞いた時、私を褒めてくれなかったり、私を認めてくれないように感じられると、私の脳は感情的な反応をしてしまうんだ…。

 

なるほど~。

 

今まで、私は「人に褒めてもらえると嬉しい」とじんわり感じていたし、それは素直に認めていたけど、まさか、感情的な反応をしてしまうほど根深く「褒めてほしい、認めてほしい」という欲求が刻み込まれていたとは…。お恥ずかしいことに、全く自覚していませんでした。

 

なので、今回初めて「人に褒められたい。認めてもらいたい」という思いが意識レベルに染みついていたことを自認できて驚いたと共に、ここまで深かったのか…と自分でもかなり衝撃でした。

 

この気づきの後、「もうこの意識・思考は要りません」と決意し、手放すことにしました。

 

ちょうど散歩中だったので、出かけた先の公園で、「人に褒めてほしい、認めてほしい」という私の意識&思考を手放すためのちょっとした儀式をしました。

 

宇宙に返し、地球に返し、きっぱりと手放すと宣言してから数分経った頃、私の心がスッと軽くなりました。自分の中からすーと消えた感じがして、ビックリしました。

 

本当に不思議なんですが、気持ちがとても軽くなったうえに、今まで抵抗を感じていたことまでクリアになったのです。

 

 

ちなみに、私が抵抗を感じていたこととは、「木に触れること」でした。

 

 

子供のころから木は好きで、木がたくさんある場所はへ行くことが大好きでした。

でも、大人になって以降、自由に触れられなくなりました。いざ木に触れようと思うと、木の幹の状態や色、虫がわいている部分を見つけて、「怖い」と感じてしまうようになったのです。

「怖い」とは、「そこに触れると病気がうつるんじゃないか」という怖さです。何で「病気」なのか?…自分でもよく分からないのですが(汗)、無意識に「病気がうつる」という思いが湧いて出てきて、怖くて触れられなくなりました。

 

そのため、ずっと、木の幹についている苔や変色している部分などは、直接手で触れることができず、無難な部分や見た目がきれいな箇所を探して、そこのみ触れていました。

 

 

でも、こうした自分の意識が「なんだか差別的だな」「病気への偏見に満ちた感覚だわ」と感じられて、正直すごく嫌だったんです。

この「怖い」という思いは、自分のハラの中から自然と沸き上がる感情だったので、どうしようもできず、無理して頑張って触れてみても、やはり「怖い」という思いが前面に出てきました。

克服したくても、どうしていいか分からなかったんです。

 

 

ところが今回、この「人に褒めてほしい。人に認めてもらいたい。」を手放したら、「木に触れるのが怖い」という感情までもが、私の中からすーと消えちゃったのです。

これには私も驚きました。

 

その後、公園や山でいろんな木に会いましたが、前のような嫌悪感はきれいに消えてなくなり、普通にさっと抵抗なく触れられるようになりました。

 

今の私は「怖さ」が消えて、心がとても楽になりました。

どうしてあんなに怖かったのか?…自分でも笑えてくるほどです。

 

以前の私は、いつも身構えていて、身体に力を入れて強張らせて、一生懸命に自分を守っていた感があります。人目を気にして「褒めてほしい、認めてほしい」と一生懸命頑張っていたなぁ…と思います。

 

以前の私(と言っても数日前ですが😅)は、こんな状態でずっとしんどかったでしょうね。無理して頑張り過ぎて、人から見たら不自然で変だったことでしょう(汗)。

 

手放してみて、改めて過去の自分がよくわかり、愛しく感じられてきます。そして、笑えてきます。愛をもって思いっきり笑い飛ばしたい気分です(笑)。

 

 

数日前、ふと気になったことを何気なく相手に尋ねた時、まさかこんな結果が飛び出すとは、全く予想もしていませんでした。

私が以前から気にしていて、実際に悩んでいたことは「病気がうつりそうで怖い」という思い(自分の中にある偏見)を手放したい…というものでした。

そして、私が相手に聞いてみたことは、この悩みとは全く関係のない内容でした。

 

それなのに、巡り巡って一巡するかたちで、結果的には私の悩みが解消した…と言うわけです。

こんなことってあるんですね~。

 

 

直接的には関係のないことであっても、あるいは、意味がないと感じることであっても、その時、衝動的に「これをしたい」「これを聞きたい」と感じたのならば、そこには大きな意図が隠されているのです。

だから、恥ずかしがったりしないで、ちゃんと実行に移して行動することが大事なんですよね。

 

もちろん、その場では厳しいことを言われたり、自分の期待とは異なる結果が出てくるかもしれませんが、そんなことでめげずに、自分のために「自分が衝動的にしたいと感じること」は、ちゃんとやってしまいましょう。

その結果、何が自分に返ってきたとしても、また、自分に何がもたらされたとしても、そこには重大な意味があるのです。

 

返ってきた結果が、人間の小さな認識の枠内では「失敗」と言われるようなことであっても、宇宙的視野に立てば、そこに大切なエネルギーが注ぎ込まれていたりするのです。

 

受け取ったものを無下に扱わず、感謝して受け止めて、その場でしっかり感じてみて、返ってきたものを元に内観していけば、ちゃんと「答え」が見つかります。

そこにちゃんと「答え」があります。

 

なるほど…。

とても大切なことに気づかされました。

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私が触れてきた森の木です。もう怖くありません。