森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

自分の「かたち」を新しく作る

先日、知人と雑談をしていて、その時

「何か新しいことを始めたい」

という話題になりました。

知人は、何か新しいことにチャレンジしたいみたいで、「どんなことを趣味にするといいのかなぁ…」と話していました。

知人の口から、楽器の名前や道具の名前、お稽古ごとの名前、趣味のジャンル名…等々、いろんなワードが出てきたんですが、どれを聞いても私にはピンと来なくて、感覚的に「ムムム…。何か違うなぁ~」と感じてしまいました。

 

この「何か違う」という感覚は、「それ、やめた方がいい」という意味ではなくて、これから「趣味の概念」が今までとは大きく変わるよ…という意味でのことです。

 

つまり、知人趣味の選び方と決め方が、なんだか昔の価値観に添ったやり方だなぁ…と。そう咄嗟に感じたのです。

 

◇◇◇

 

おそらく、今までの価値観で「趣味」といえば、例えば「音楽系」「芸術系」「手仕事系」「家事系」「文化系」「スポーツ系」「自然派(アウトドア)系」など、様々なジャンルがあらかじめ存在していて、そこからさらに「ピアノ」とか「書道」とか「テニス」とか「写真」とか…等々、細かく細分化された個々の項目があり、私たちはそれらの項目から「自分に合いそうなものは何か?」で選び出し、その項目の世界にひとまず足を突っ込んでみる…という感じだったと思うんですよ。

 

つまり、もう最初から決められた項目があって、どれにしようかな?と事前にどれか一つ選んで、これにする!と決める…。そんなスタイルなんですよね。

 

こうして、選んだ項目に足を突っ込んでみて体験して、とりあえず上手くできるようになるまで頑張って続けてみる…という感じです。

 

この「続けていること」を、今までは「趣味」と呼んでいたと思うのです。

 

それも、自分が好きで始めたというより、「これしかなかった」とか「これをやっておくと後で得をすると思ったから」とか「流行していてかっこいいから」とか「お金がかからない」とか等々。自分の気持ちに関係なく、単純に目の前にあるものをとりあえず選び、やってみる…というもの。

そこには損得勘定も多少含まれていて、自分の心の声よりも、世間体や人目の良さを優先させてやってきたと思うのです。

 

特に昭和世代は、趣味というと、一人でコツコツやるのはネクラと言われるから、集団で何か一つのことにことに取り組むパターンが多かったですよね。

仲間を募るために、「趣味」と呼べるものは、皆が納得し理解してくれそうな「わかりやすいもの」に定めていたと思います。

そして、趣味のゴールは「その世界で何らかの成果を上げる」または「長く続けられる」という感じでした。

 

ちなみに「成果を上げる」または「長く続ける」を目指すとなると、どこかの団体に所属してそこでみっちり基礎から学んでいくことも必要になってきます。

 

でも、昔から続いている団体や組織だと、そこの人間関係が昔の年功序列や権威主義に染まっている場合もあるから、取り込まれてしまうと本当に面倒…。それに古い価値観でガチガチに凝り固まっている組織だと、そこから脱退することが許されず、終身的に死ぬまで所属することを求められたり、義理人情で精神的に拘束されるから、めっちゃつらいんですよね(汗)。

 

だから、一度足を突っ込んだら、途中で抜けられない…。

抜けようとしたら、裏切り者扱いされることもあります。

団体(サークルや教室)のメンバー数が多いことは、その団体の成功の証だから、人集めも必死になるし、気の弱い人や断れない人は、どんどん巻き込まれて負担に感じて辛くなってしまう…。そういうことも昔はよくありました。

 

 

話を戻して…。

「あれは自分に合うかなぁ」「これはどうかなぁ」と、あれこれ思案している知人を見ていたら、ふと

 

ん?ちょっと待てよ…。
「どうしようかな?」「何が自分に合っているかな?」…とあれこれ考えて悩むこと自体が、なんだか昔っぽくないか?

と感じたんですよね。

それが悪いとかダメとか非難するつもりは全くなくて、ただ単純に「こういう決め方は、昔のやり方なんだなぁ」と感じたのです。

 

ワクワクするとか、楽しみを感じるとか、直感やインスピレーションを働かせた訳ではなく、思考で「どれが正解か?」「どれが得か?」「どれが損しないか?」「どれが効率的か?」で考え込み、無意識のうちに項目を品定めしているんですよね(汗)。

 

これでは始めても楽しめないし、夢中になって取り組むことも難しいだろうなぁと思いました。

 

 

こんな感じで、事前にじっくり吟味して選ぶのもいいけど、やはり、パッと「これ楽しそうー!やってみたいー!」と情熱一本でポンと飛び込んで、ただ楽しむ…。これが、新しい時代の趣味のかたちじゃないか?…と思いました。

 

一度飛び込んだら、その世界を極めるまでは絶対に出てはいけない…と固く門を閉ざして、そこに骨をうずめるつもりで死ぬまで頑張りぬく…。これはもう古いスタイルですよね。

 

途中で情熱が冷めたら、休んだり止めてもいいんだし、違うことに新たに飛び込んでもいいんだし、もちろん「極めること」に情熱が沸き立って楽しくて楽しくて仕方がないのなら、最後までとことん楽しんでやり尽くせばいいんです。

 

そこは完全に自由。

 

そう考えると、たくさんある項目の中からカタログショッピングのように「私はこれを趣味にするわ」と選択していくんじゃなく、最初は「全くかたちがないところ」から始めてみるのもアリだよなぁと思いました。

 

例えば、花が好きで、何となく家でプランターに花を植えて楽しんでいたら、そこからどんどん欲が出てきて、気に入った花の苗を集めて育てていくうちに、気が付いたら立派なガーデナーになっていたとか。

あるいは、歌が好きで「この歌が歌えるようになると良いなぁ」と思って自己流で歌っていたら、ある時から専門的に歌を習ってみたいと欲が出てきて、そのうち良い先生と出会い、歌い方をコーチしてもらい勉強していくうちに、だんだん本格的に歌えるようになって、ますます歌が好きになった…等々。

 

最初から「ガーデニング」や「歌」と固定してそれを極めようと頑張るより、最初は興味があること&好きなことを楽しみながら続けていくうちに、だんだん深く追求するようになり、気がついたら、こんなにも深い世界に居るようになった…。

こんなやり方が、これからはベストだと思うのです。この方が自然であり、自分にも周囲にも無理がなく、自分の人生に自然と溶け込み調和していくと思うのですよ。

 

別に「かたち」なんて無くてもいいんですよ。

かたちが最初からしっかり出来上がっているものが趣味だ!と決めつけるのも、今は無理があります。

自分に合うものを探そうと頑張らなくていいかは、今、自分が好きだとかんじることを素直に追求して、そこから「自分のかたち」を新しく作ればいいのですよ。

 

 

そんなことに、ふと気づいた私。

 

そこで知人には「あまり深く考えすぎないで、もっと単純に『やってみたい』と興味を感じることをやってみればいいんじゃないの。あまり固く考えないで、自由に何でも体験してみたらどう?」…と話しました。

 

イメージ通りの「完成されたかたち」を目指しても、もしかしたら、私が進むべき世界は、今の自分が想像しているものとは完全に異なる、全くかけ離れた今までにない「新しいかたち」かもしれません。

 

だから、かたちを探すのではなく、自由に作る。

 

そんなふうに発想を変えていくことが、これからは必要なのだと思います。

 


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紫陽花を接写で撮ってみました✨