昨夜…正しくは今朝の早い時間ですが、夢を見ました。
実は私はここ一年以上「夢日記」をつけているのですが、そんな私でも今回の夢はかなりリアルなものでした。
内容は、コロナ前に亡くなった知人が出てきて、私にいろいろ頼んでくるものでした。
私は(夢のなかで)本能的にその知人を見たらいけないと感じ、目を閉じて対応しました。
でも、途中でふと気になって目を開けて見ると、知人は真っ黒い影のようになっていて、顔や体型が判別できません。
だけどエネルギーで知人だとわかります。
頼まれることも、生前の延長みたいなお願いで(あれが欲しい、これをして欲しい、みたいなこと)、私はわかったわかったと答えて、そこで目が覚めました。
目覚めた瞬間、あれ?ここはどこだっけ?とわからなくなるほど、夢の世界に深く入り込んでいました。
こんなにハッキリした夢は久しぶりで、夢見後もあまり気持ちの良いものではありませんでした。
結局、何が言いたかったか?というと、亡くなっても生きていても、あまり変わらないということです。
亡くなっても、スピリットの世界での精進は延々と続きます。
生きている間も日々精進だし、亡くなった後も精進です。
精進することで、魂を進化させることが私たちの努めなのです。
進化には、体験が必要です。喜怒哀楽がつきまとう様々な体験を得て、心を動かし、身体を動かし、自分を追求していくのです。
だから、どっちが偉いとか立派とか、あまり関係が無いのですよ。
お金や財産の有無とか、学歴とか、社会的立場や肩書きとか、性別や年齢など、そんなことはオプションでついているだけで、魂の進化にはあまり関係ないんですよね。
それらを持つことで得られる体験にたいして、自分はどう対処し乗り越え、自分の糧にしていくのか?こちらが大事なのです。
だから、スピリットだから上とか、スピリットと交信できる人は素晴らしいとか、そこで貴賤を決めることでもないし、未来が見えるからといって崇高とも限らないし、大事なのは、自分はどこまで精神的に成熟してバランス良く成長できたか?←ここなんですよね。
なので、知人が夢に出てきたからといって、特別なことは感じなかったし、ただ、今の地球は、スピリットの世界と人間が生きる世界との境界線がゆるく曖昧になってきているのかな?と感じたりしました。
知人も、次のステージへ進むことをせず、自分が「もう、いいや」と飽きるまで、延々と同じシチュエーションの行動を続けているのかもしれません。
同じことを繰り返す。
これは、こだわりが強かったり、執着しているものがあると、あちらの世界でも延々とそれらを繰り返すんですよね。
それも生きている人間の世界と異なり、あちらはストップしてくれるものが何も無いので(地上だと摩擦や重力や時間や肉体の疲労など、物理的なものがストッパーになってくれるので、長く続けることは不可能です)、本人が止めるまで永久に続いてしまいます。
だからこそ、今、この世界で人間として生きているうちに、自分のこだわりや執着を手放して、心を自由に解き放つことが大事だと思います。
今回は夢のことをここでシェアすることで、もしも、これを読んで、心の持ち方や生き方に気づき目覚める人がいれば、知人にとっていい徳積みになると思い、書いてみました。
あまり難しく考えず、変に意識して執着せず、フラットに「そういうこともあるんだな」とプラスに受け止めてもらえたらと思います。