10連休の方はまだもう少しお休みが続きますが、ひとまず今日でGWは終わりますね。
毎年この時期は、私が住んでいる地域はすごく混むので、あまり出掛けないようにしているのですが、今年は制限がない連休だったため、人の動きがすごかったです。
この小さな街にたくさんの人が流入し、主要な場所はどこも人で溢れていました。
あまりの混雑ぶりに驚き、大勢の人の迫力に圧倒されましたが、でも、コロナ前は今の混雑状態が「日常でありノーマル」だったんですよね。つまりはこの2年間で、私たちはすっかり「人が全く動かない状態に慣れてしまった」…ってことなのでしょう。
あの混雑した世界に、また飛び込まなくてはいけないのか?と思うと、ちょっと気が滅入りますね。
更に、これからコロナが落ち着けば、復活する行事や慣習が出てくるでしょうし、また元通り戻るものも出てくるでしょう。しかし、そちらも悩みの種なんですよね。
というのも、コロナで中止になったことで、無くなってほっとしたものや、失くして良かった!大丈夫だった!と気づいたものがたくさんのあるんですよね。だから、今さら復活されてもなぁ…と困惑することが多々あります。
面倒なことが消えて無くなり、非常に楽で快適だったから、その快適さに慣れてしまったということです。
コロナが終わった世界で、私はちゃんとやっていけるかしら?…なんだか今から心配です笑。
◇
今日は立夏。
暦の上では夏ですね。
これまでの鬱々した空気がスパッと晴れて、それぞれに自分のことが明確化されてくるのではないでしょうか。
過去の記憶と重なって、重苦しく感じることもあるかもしれませんが、そんな時は、逃げないで、あえて挑んでいきたいものです。
重苦しい現実と向き合わされている時、ついつい不満や怒りなどネガティブな感情が涌き出て鬱々してしまうのは、イコール「屈している」ってことです。
対象物は、自分がどんなに頑張っても変わらない、だから諦めて従わなくてはいけない…と思い込んでいるのですよ。
しかし、その思い込み、今は当てはまらないかもしれません。
もしかしたら、勇気を出して自分が立ち上がれば、自分が思い込んでいた未来じゃない「新しい未来」を創造できるかもしれないのです。
だから、諦めないで、ちゃんと立ち上がりたいと思います。
必要ならば「闘う」こともある。その覚悟をもつことです。
闘うといっても、誰かを不法に傷つけることではなく、自分の弱さや甘さと闘い乗り越えて、今までにはない「新しい決断」を自分の判断で下す…という意味での「闘う」ですよね。要は「格闘する」ということです。
その際、義理や義務で繋がっているものを切らなくてはいけなくて、その時、「切り離す」ための痛みを受け入れなくてはいけないでしょう。
この時感じる痛みは、適正化に進化成長していく際に、誰もが体感する「成長痛」だと思うことですよ。
もう過去に縛られず、新しい気持ちで、前へ 前へと前進していきたいものです。
明るく力強い日差しを浴びて、エネルギーをチャージして、たくましく前進していきたいものです。
新緑がうつくしいです。