森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

家族の変化を、愛をもってポジティブに受け止めていく

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これは、私の周りでよく耳にする話なのですが…。

自分のパートナーや子供や孫が何か新しいことにチャレンジしようとしたり、「楽しそうだなぁ」と興味をもってやりたがっていることに対して、

  • 頭から否定して大反対する
  • 足を引っ張って邪魔しようとする
  • 露骨に嫌な顔をして不満そうな表情をする
  • 嫌味や文句を言って、無理やり諦めさせようとする
  • 「そんなことはしない・させない」と決めつけて無視する

…等々。こういう態度をとって、家族の気持ちを萎えさせて諦めさせる人がいるんですよね。

 

その家族の中で、リーダー的な存在の人、もしくは、陰で家族を束ねているような人で、上記に挙げたことを家族によくやっていて、それで、家族の希望の芽&アクションを起こすエネルギーを潰してしまう人がいます。

 

こうした潰し屋の人たちは、おそらく自分で意識してやっている感覚はなく、無意識のうちにやっていると思うのです。

 

多分、ずっと子供のころから「ダメ出し」されたり「こうしなさい」「こうあるべき」と言われ続けて育ってきたから、それが当たり前だと思っているんですよね。

 

自分が「かなり偏屈で、支配的で、家族の気持ちを完全に無視していて、自分の思い通りに家族をコントロールしようとしている」なんてことは、一切、自覚していないだろうと思います。

いや、むしろ「うちだけでない。みんな同じだ」と思っているくらいではないでしょうか。世間一般の全ての人たちが、みんな自分と同じだと思い込んでいる人も多いです。

 

みんながそうだから、うちも同じ…という変な平等感覚があるんですよね。

頭から「うちは世間並」と信じているから、どんなに身内に対して頑固で偏屈で強情で非情でも、「自分はいたって普通で常識的な人間だ」と思い込んでいたりします。

 

 

私が生まれ育った昭和時代は、家長を中心に皆が「一つ屋根」に寄り集まって、一つに結束して暮らしていくのが「常識」だったから、上記に挙げたような感じの家庭がほとんどでした。

 

だけど、今は、昔のように「血縁にしがみついていないと生きていけない」ような時代ではないし、むしろ、血縁に固執しすぎていると、かえってぎギスギスして生きにくくなってしまう時代だと思います。

 

「家族」というものに執着して、みんなで狭い家の中に寄り集まって、同居して暮らすことが「正しい」という価値観は、もう昔のものだと思うんですよね。

 

今は、たとえ一緒に暮らしている家族であっても、相手を自分の所有物のように見なしたり扱うことは、タブーだと思うのです。

 

だから、たとえ身内であっても、お互いに調和と自由を尊重し、相手の人生に食い込んでコントロールするような関わり合いや接し方は、これからは止めるべきなのです。

 

 

それにしても、いつも私は不思議に思うのですが、昔の価値観に染まっている人たちって、どうして自分以外の他者を「モノ」のように扱うんでしょうね。

 

昔の古い価値観に染まっている人たちは、一緒に暮らしている家族に対してでも、干渉したり、支配的な態度をとったり、不必要に監視して相手を自分の思い通りに動かそうとしたり、自分の召使のように扱ったり…等々。自分のエゴを満たすための道具として扱うんですよね。

 

また、家族だけでなく職場や社会の中でも、たまたま同席している他人に対してでも、平気で、相手を自分の私物のように扱い、ハラスメント行為を繰り返したり、奴隷のようにこき使ったり、人の命や身体、人権を無視した行為を繰り返したりします。

 

昔の古い価値観の中には、人間を「偉い人物になったような錯覚」を起こさせるような何か装置みたいなものが仕組まれているんでしょうかね。

 

人を、年齢・性別・社会的立場・肩書・収入・職業…等でジャッジし、人を選別して、属した階級に見合う処遇にしてやる…という思考回路。どうしたら、そんな差別的な言動ができるのか?本当に不思議です。

もしかしたら、人を人と思わなくなるような変なスイッチが、昔の古い価値観には隠されているのかもしれませんね。

 

人を見て、自分より格が上だと感じた人間に対しては、気持ち悪いほど遜(へりくだ)って媚びへつらい、自分より格が下だと感じた人間に対しては、残酷なほど蔑んで叩きのめし、倒れるまで搾取してこき使う…という図式。

 

これを、社会の中だけでなく、自分の家族の中でも平然と行っている…という人が、世の中には、まだまだいるんですよね。悲しいけど、人の命や人生を搾取しながら、自分のエゴと欲を満たして生きている…ということです。

 

 

そんな古いシステムの中で、私たちは先祖の代から長く生きてきた訳ですが、もう、こんな階級のシステムは壊してしまうべきだ…と、最近強く感じます。

 

家族の中で、何か新しいことにチャレンジしたいと立ち上がる者が出てきたら、その芽をつぶさず、大事に育ててあげてほしいのです。

 

また、「ここに行きたい」「これをしたい」という希望を言った家族がいたら、頭ごなしにその希望をつぶさず、愛をもってポジティブに受け止めてほしいと思います。

 

 

ちなみに、人の心にある「アクションを起こしたい」という欲求の芽は、人がまだ子供だった頃…言葉がまだ上手く出てこないくらい小さくて幼い頃に、ムクムクと出てきます。

 

しかし、そんな大切な発芽の時に、「ダメ出し」の嵐で片っ端から踏みつぶしていると、もう二度と芽生えてこなくなるんですよ。そして、心が傷ついた分、もう傷つかないよう自分を守るために、瑞々しい感性や柔軟な心を閉じて固く強張らせていきます。そして、支配に屈するようになるのです。

 

 

大人の中には、子供たちの気持ちに寄り添うことなく、頭から否定して諦めさせたり、無視したりして、子供が大人に対して従順になるよう、徹底的に子供の心を叩き潰す人もいます。

さんざん子供の心を踏み荒らしながら、大人(自分)の要求をガンガン押し付けて無理やりやらせるのです。大人が製造した「芽」を、子供の心に勝手に移植しようとしているわけです。

客観的に見れば、一人の人間の気持ちを潰して、大人のエゴを刷り込んでいく作業ですから、すごく残酷なことなんですよね。

 

これを長年にわたってやられると、やられた人は「生きる気力」を失います。エネルギーが枯渇して、大人になったとき、社会の中で自力で生きていくことが困難になります。

私には、とても恐ろしいことに感じられるのですが、古い価値観に侵されている人たちは、みなさん「これが普通で当たり前のこと」だと信じて、平気でやっています。

むしろ良いことをしていると信じ切っている人が多いんじゃないか…と思います。

だから、世の中がなかなか変わらないのでしょうね。

 

 

子供時代は、おおいに夢を見させることです。

子供時代の夢や希望は、純真で素直でかわいいものです。幼い頃でしか持ち合わせないナチュラルな感性から発した気持ちを、その時の「自分の言葉」で一生懸命に表しているのです。

だから、そんな人生の一番幸せな時の夢や希望くらい、愛をもって肯定的に受けいれてあげるのが、家族である大人の務めじゃないかな…と思うのです。

 

 

子供時代に、夢や希望を持つことが許されなかった大人たちも、今からでも遅くありません。自分に対して愛と優しさを向けてあげてくださいね。

 

世の中の人々は、もっともっと優しく寛容にならなくてはいけないと思います。

 

人に対して優しくなれない人は、まずは自分に対して、愛をもって優しく扱うことを心掛けると良いと思います。

 

 

世の中は、これから寛容の世界になっていかなくてはいけません。

 

いちばん寛容さを発揮してもいいはずの家庭内で、精神的に拘束したり、監視して干渉したり、相手の言動に制限を与えて支配しているような場合は、かなり歪で根深い問題を抱えている…と思ってくださいね。

 

また、そういう潰し屋が家族にいる場合は、潰し屋の脅(おど)しに屈せず、また、精神的支配にも屈しないことです。これからは「自分の人生を生きる」と決意してください。あなたが行動して変化を起こすことで、潰し屋にも「学び」と「気づき」が与えられます。

 

世界は、新しい時代へと移行しています。家族のありかたも、これから見直していくことが求められるでしょう。

 

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昨日、久しぶりに海へ行きました。潮風に吹かれて心地よかったです。