気が付けば、8月ももう少しで終わりですね。
暑い夏でしたが、いつの間にか風が涼しくなり、時折、秋の気配を感じるようになりました。
さて、今年の夏を振り返ってみると、私の場合、なんだか長いトンネルを通り抜けてきたような感じなんですよね。
いつからトンネルに入り込んでいたのか?も、実は正直にところ定かではなくて、よくわかんないです。気がついたらトンネルの中だった…という感じ。
暗くて一寸先も見えないトンネルの中を、手探りで、時々あちこちブチ当たりながら、少しずつ前へ前へ…と進んできたようなイメージです。
このトンネルの中にいる間、過去のことを生々しく思い出していました。
楽しい思い出もつらかった思い出も、全部ひっくるめて、アットランダムにどんどん出てくるのです。その体験は自分にとって価値があるとか無いとか、そんなことは一切関係なく、次々といろんな記憶が甦ってきて、胸がかきむしられるほど苦しくなることも多々ありました。
こんな体験は初めてだったので、かなりビビりましたよ。
過去へのぶり返しみたいな状態が、例えば、夜の静かに過ごしているような時間帯に、すーと出てきて、自分の意識がそこに入っていくのです。
これ、私だけでなく夫も同じだったそうです。
私は何とか抜け切れたけど、夫は今もトンネルの中を模索中みたいで、結構しんどそうです。
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記憶のトンネルの中にいる渦中は、こんな感じです。
ふと過去が甦ってくると、自分ではどうしようもできない強烈な喪失感や焦燥感にかられて、身が切られるような苦しい感覚になります。心の痛みや切なさ、虚しさ、淋しさ、悲しさ…等、いろんな感情が湧き上がってきて、自分をキープするのに精いっぱいで大変なんですよね。
それは、夏の草いきれのような、あのむせかえるような感覚なんですよ。
過去の記憶とその記憶にまつわる昔の感情がムンムンと湧き出てくるたびに、昔の情景が脳裏に鮮やかによみがってきて、一瞬、フラッシュバックのような感覚に陥ります。
決して嫌な記憶ではなく、むしろ、愛しい思い出だったりすると、感情がせきたてられ、切なさが最高級に高まり、もう息苦しくて息が詰まるほどです。
鮮明な記憶の世界にいて、その情景を更に五感を使って克明に思い出そうとすると、そこはやはり記憶なので、一気に曖昧になってしまうんですよね。
この時、曖昧なところを明白にしようと必死に思い出そうとしても、なかなか思い出せなくて、そこから一気に絶望感が押し寄せてきます。それはもう再現不可能な過去の思い出なんだ…と、現実を強烈に突きつけられるのです。
すると、私のメンタルは、「もう二度とあの風景を見ることはできないんだ」「あの人にも会うことはできないんだ」「もう二度と同じことは体験できないんだ」という悲しみと淋しさでいっぱいになり、喪失感がこみあげて渦となり、深くて暗い谷へと意識が突き落とされるのです。
そして、なんとも言えない物哀しさが胸いっぱいに広がるんですよね。
それこそ「気が狂うんじゃないか…」と思うほどの強烈さな悲しみ&哀しみなのです。
夏の暑さが酷であればあるほど、甦る記憶も生々しくなり、ホントしんどかったです。
そんな夏の記憶のトンネル。
今はお陰様で何とか抜けた感じがします。ようやく少し落ち着いたところです。
そして、この記憶のトンネルと同時進行で、私の身体のトラブルも次々と出てきて、その対応に追われて大変でした。
病気が見つかったり、治療が必要になったり、ホント、心身共に大きな節目の時でしたよ。
今まではカラダが丈夫で、ずっと健康体でこれたけど、実は長年の疲労やストレスが溜まっていたことがわかりました。
ちょどいい節目なので、カラダの使い方をこれから見直すことにしました。
だけど、このまま何も知らずに突き進んでいたら、後々取り返しのつかない大変な状態になっていたかもしれないので、今このタイミングで、カラダの不調が出てきてくれて、そこはホント感謝しています。
今ならちゃんと手当てすれば治るし、また、命や暮らしにか関わるような深刻で重いものでもなかったので。
いろいろ早期に知ることができて、とてもラッキーでした。
ちなみに、この夏のカラダの不調については、今までコツコツ磨いてきた「直観力」と「行動力」をフルに使って対応しましたよ。
メンタルがしんどい時でも、直感が正しく起動していれば、ちゃんと動くことはできるし、結果も残せます。
カラダと心は繋がっているけど、大変な状況の時は、常に客観的てせあることが大切ですね。
客観的に俯瞰して自分を見つめる癖をつけておくと、感情の渦に巻き込まれて自分が破滅してしまう…という危険を回避することができます。
感情は感情、メンタルはメンタル、記憶は記憶、肉体は肉体。
そうやってそれぞれをバラバラ切り分けて、個々に必要な対処をしていくこと。これからとても必要になっていくんじゃないか…と思いました。