こっちは別に「ありがたい」とは思っていなくて、向こうが勝手にお節介を焼いて、アレコレ押しつけてくるのに対して、「世話になったんだから感謝しなきゃダメ」と横から口を挟んでくる人がたまにいる。こういうのって、本当に辛くて苦しい。
こっちは全然嬉しくもなんともないのに、「嬉しいでしょう?」「良かったね」と勝手に、喜べ!感謝しろ!と強要してくるんだよね・・・。
これは、やられた人の心を完全に病ませるから、絶対にしてはいけない。
特に子供。
子供に対して、周囲の大人が「ちゃんと感謝しなさい」「感謝して受け取りなさい」「もっと喜びなさい」と、子供の心の中まで干渉し、「こういうリアクションをしなさい!」「こういう反応をしなさい!」と命令し、自分の期待通りの反応を子供が見せるように仕向けていくことがある。
そういうことをしていると、子供は自分の本当の気持ちがわからなくなり混乱して、最後には自分自身がわからなくなってしまう。
このように、自分の主観を子供に押しつけて強要してくる大人は、世間体を気にして良い人に見せようと自分を作っているタイプが多い。 自分の世間体を良く見せるために、子供の「自由な心の反応」を奪い取っているのである。
子供にも、感性がありフィーリングがあり心がある。
たとえ相手は子供でも、相手の心を無視してはいけない。
◇◇◇
誰にも喜怒哀楽もあるし、嫌だ・好き・・・の反応もある。
嬉しければ素直に喜びを表現するし、嫌だったら正直に嫌だと言う。
特に純真で素直なのが子供たちの心だ・・・。
子供の反応はいつもストレートで明るい。
だけど、そんな子供の素直な反応に、苛立たしさを感じたり、人目を気にして押さえつけようとしたり、コントロールして管理しようとする大人も多々いる。
そういう大人が身近に多く存在する環境だと、子供は自分の素直な反応を押さえつけられ、無意識にコントロールされていく。
結果、大人が許可する反応の仕方しかさせてもらえなくなり、だんだんと自分の気持ちがわからなくなっていくのである。
結果、
・今、自分はどういう気持ちなのか?
・これに対して自分はどう感じたのか?
・自分はどうしたいのか?
・嬉しいのか?嫌なのか?
そんな正直な自分の心の反応さえも、自分で感知できなくなり、絶えず周囲の大人の反応に気を配り、大人が喜ぶリアクションを取ろうとし、そんな「作られた自分の反応の仕方」を、これが私の本当の気持ちだ・・・と思い込んでしまう。
こうして、どんどん「本当の自分」から遠ざかってしまうのである。
ああ、なんと悲しいことだろう。
◇◇◇
・今、自分の気持ちがわからない。
・自分はどうしていいのかわからない。
・・・と、自分を見失っている人々の多くは、もしかしたら、子ども時代に正直に自分の気持ちを表現しても、誰も受け止めてくれず、むしろ「それではダメだ」と頭ごなしに叱られて、無理矢理「大人受けする反応」をするように矯正させられた人たちなのかもしれない。 そうなると、大人になっても、絶えず人目を気にするようになる。いざ自分の足で生きていかなくてはいけなくなったとき、自分の感性も直感も働かず、どうリアクションして良いかわからず、混乱したまま社会に放り出されてうずくまっている・・・。そんな感じだと思う。
そういう場合は、とにかく一刻も早く「自分自身」を思い出し取り戻すことだ。
・自分は本当は何がしたいのか?
・自分は何が好きで、何が嫌いなのか?
・自分はどう生きたいのか?
そういうことを、誰にも邪魔されず自分の心の中で素直に見つめ直していくことが大切だと思う。世間の常識や、大人たちからすり込まれた価値観、社会的な固定観念・・・等。そういうものに縛られず、そうしたブロックを外した状態で、素直に
・本当は私はどうしたいのか?
を静かに見つめ直すこと。そして自分を取り戻すことだと思う。
◇◇◇
感謝の強要ほど、くだらないものはない。
嫌なら、別に感謝しなくてもいいんだから・・・ね。
感謝なんて、無理してするもんじゃない。
嫌なら、嫌だとはっきり言えば良いだけのこと。
みんな自己満足のために、親切を押し売りして感謝を要求してくるだけなんだよ。
そうしたトリックに早く気づいて、要らないものは「要らない」とハッキリ言ってあげなくてはいけない。そうやって自分の気持ちを相手にしっかり伝えて教えてあげるのこと。 それも愛。自分の真実を伝えることが「本物の愛」に繋がっていく。
だから、我慢しなくていいから、正直に自分の気持ちを伝えてあげること。
喧嘩になってもいい・・・という覚悟で、きちんと正直な自分の心の反応を伝え続けていくことだ。
これが、あなたの心を強くたくましく成長させるための契機となり、また相手にとっても「気づき」のきっかけとなり、お互いにとって心の成長に繋がるのだから・・・。
だから、強要に甘んじてはいけない。
自己を確立せよ。
潔く毅然と自己主張するべし。自分のために闘うのだ。