森の中の大きな木2

自由にマイペースに生きたい 「自分らしく生きる」ための心のメッセージ

自分の中で生まれた「怒り」の感情をちゃんと受けとめていくことの大切さ

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この夏、noteで「本当の私を生きるプログラム」を参加したのですが…

 

www.emiko258.com

 

このプログラムによって見つけた「本当の自分」。この「本当の自分」そののままで生きていこう…と決意した私は、昔の私に戻らないよう、日々「本当の自分」を意識して暮らしています。

すると、最近、なんだか『お試し』のようなことが次々と起きるようになりました。

 それは、決して良いことではなく、どちらかと言えば、私にとっては面白くない嫌なことばかりです。

 

◇◇

 

このお試しは、他人とコミュニケーションしている時に起きています。

どんなことかと言うと、とても理不尽な言われ方をしたり、他者の失敗を私のせいにされたり、不機嫌な感情をモロぶつけられたり、…等々。

相手からとても嫌な扱いをされるのです。

 

でも、振り返ってみると、今までの私は、こうした「嫌な待遇」をされても、黙ってそのまま受け止めていたんですよね(汗)。「私が我慢することで場が収まるのなら…」と思い、黙認して、そのままにしていました。

私が悪者役を引き受ければ良いんだ・・・と、いつも損な役回りを自分から選んでいました。

 

きっと昔の私は、感覚がマヒしていたんだと思います。

相手から非常に理不尽な扱いをされても、「こんな私なんだから仕方がない」と思い込んでいました。また、私のせいにされても動じず、相手の好きなようにさせておくことが「器の大きさ」だと思っていました。

 

だから、今回の「お試し」も、急に嫌なことがたくさん起こりはじめたというよりは、元々あったことに今ようやく気づき始めた…だけなのかもしれません。

 

しかし、どうしてこんな風になっちゃったのか…。

過去を振り返ると、やはりこれは親や社会からの刷り込みが原因だなぁ…と思うのです。

 

◇◇

 

思えば、幼い子供時代から、すごく悔しい思いをして腹が立っても、「怒ってはいけない」と怒りを抑えられ、怒りを感じることは「大人げないこと」「みっともないこと」と躾られてきました。

「怒り」という感情自体が、大人達の間で「悪者扱い」されていて、「怒り」を感じることすら=精神的に未熟だ…みたいな認識がありました。親たちも怒りを抑え込んで我慢しているから、子供であるお前も我慢しなさい・・・という図式です。

 

成長して大人になるにしたがって、今度は「人前では絶対に腹を立ててはいけない。怒りを見せてはいけない。」と言われ、厳しく注意されるし、反対に、目の前の相手がご立腹の時は、「こちらに非があるのだから、とにかく頭を下げてひれ伏し、相手のご機嫌が直るように一生懸命謝罪することが大切」と教えられました。

 

つまり、他人の「怒り」の責任を取らされるのに、何故か、自分は「怒り」を感じることも出すこともダメだと禁止される…という状況。

そんななかで、とにかく我慢強くならなくてはいけない、多少の事では怒りを感じない鈍感さも大切、それでも腹を立てると「大人げない」とか「みっともない」とか未熟者扱いして叱られる…等々。

 

今思えば、本当に身勝手で滅茶苦茶な理論でしたが(汗)、酷くアンバランスな状態の中を生きなくてはいけませんでした。

 

目の前の相手は、自分の未熟さや身勝手さを自由に発揮して、理不尽で筋の通らないことを平気でやらかしているのに、それを不快に感じている私たちには「我慢しなさい」の一点張り。相手と自分の立場の違いから、こちら側には一方的に「完璧な良い子」「物分かりのいい人」を期待して求めてくる訳です。

 

私たちは、ずっとこんな不平等で理不尽な状態に、長いこと置かれてきました。そして、幼いころからずっと「いい子でなくてはいけない」と、常に大人の対応を求められてきました。「完璧な良い子」、つまり「何があっても怒らないし、刃向かってこない。非常に穏便で穏やかで物わかりの良い良い子」にならなくてはいけなかったのです。

 

理不尽さを振りまく暴君がいる社会で、世の中の均衡を保つには、その対極にいる「完璧な良い子」が必要だったのです。だから、たくさんの「いい子」が社会に排出されていったわけです。

 

これは私だけでなく、他にも似たような状況で「良い子」を押しつけられてきた人が多いと思います。

 

大人達から「良い子」と認定されると、こちらの気持ちや感情は全然認めてもらえず、ネガティブな感情は「そんなことを思うものではない」と叱られて頭ごなしに否定されるし、大人が言う意見や指摘に黙って従わなくてはならず、その一方で、人から傷つけられたり、理不尽な対応をされた時は、「我慢しなさい」で一蹴されるんですよね。

 

今思えば、「良い子」というだけで社会的には優遇されているように見えて、実は、大人達から見たら非常に使いやすい駒でしかなく、最初から都合良く扱われていただけだということです。つまり、一人の人間として大事にされてはいなかった…ということです。

 

これは時代性もあると思います。私が生まれ育った昭和時代は、今ほど子供の人権について言われていなかったし、子供相手でも手加減なく結構えげつない対応をされてきたなぁ・・・と思うのですよ。子供の気持ちに寄り添おうと社会の意識が変わってきたのは、本当にごく最近です。

 

だから、自然の流れで、「自分より相手の方が正しい」とか「自分はこの程度の人間なんだ」とか「自分は人から不当な扱いをされても仕方がない存在なのだ」と思い込まされてきたと思います。

 

 

こんな感じで、みんな「自己肯定感が低め」で育ってきています。自己肯定感が低いと、相手から理不尽に扱われても、相手の身勝手さの「受け皿」になってあげなくてはいけない・・・と思っちゃうんですよね(汗)。それが私の生きる道・・・と思っちゃうのです。

 

これって、ある意味、洗脳かもです。汗

 

そんなこんなで、幼い子供のころから「これが当たり前」と思い込まされて育ってきたから、今まで「なんかおかしいぞ」と気付くことなく、ここまで来てしまいました。

 

 ホント、今までの私は「非常に物分かりが良くて、優しくて心の広い人」と思われるように、一生懸命に自分の心や見た目を作り変ってきたように思います。

 

◇◇

 

 でも、ここ最近の「お試し」によって、今までの私が「いかにお人よしだったか…」ということにハタと気づきました。

 

あまりに自分を貶めしていたわ!・・・と。

 

なので、今は嫌なことを言われたり、理不尽な扱いをされたら、その場で「自分の怒り」をちゃんと感じて受け止め、その時々でしっかり怒るようにしています。そして、相手に怒っている自分の気持ちや意見を正直に伝えるようにしています。

 

もちろん、相手が私のことを正しく理解してくれるとか、相手が反省して改めてくれるとか、そんな期待は一切なしです。

もしかしたら、相手は私に怒られて、理解どころかモヤモヤするだろうと思います。あるいは逆に腹を立て、私に対して怒り心頭かもしれません。

 

でも別にそれでも良いのですよ~。

 

私の目的は、自分のために立ち上がることなので、これからコツコツ「自分のために立ち上がった事実」を積み重ねていくだけです。

 

◇◇

今までの私は、「怒り」の感情を抑え込みすぎていました。

だから、これからはキチンと受け入れ、素直に怒りたいときは怒る。・・・それを心がけていきたいです。

 

言い方を変えれば、私は、今まで怒る練習ができていなかったから、怒り方が下手なんですよ(笑)。怒りを感じることも、表に出すことも、相手に伝えることも、全然体験がなかったのです。

ただ、それをやると嫌われると脅されて、無理やり「怒り」を封じ込められてきたんですよね。

これからは「怒り」上手を目指して精進していきたいです。笑

 

怒りは特別な感情ではなく、他の感情と同じ、ごく普通の感情です。忌み嫌う必要は無かったのです。

それに気づかせるために、お試し(私を怒らせること)が次々と起きていたのでしょう。

だから、私はただ受けていく。それだけです。

 

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秋のフルーツ、シャインマスカットのタルト。とっても美味しかったです。