森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

人を追及して責める癖を手放して、自分に責任を持つ

人は、予定外の出来事が起きると、ついつい感情的な反応をしがちです。

 

そして、人は、自分が感情的な反応をしたとき、自分の高ぶった気持ちを落ち着かせるために、周囲の人を追及して責め立て、自分が納得できる「答え」を欲しがります。

 

こういう時の人間の状態は、「予想外のことに対して、認知が追い付かず、脳がパニックを起こしている」状態なのですが、そんなパニック状態に陥っている最中に、自分をクールダウンさせる方法として、まず、目の前の人間を追及し、「どうしてそんなことが起きたのか?」と明確な理由(答え)を聞き出すこと…なんですよね。

 

つまり、「どうしてそんなことが起きたのか?」の原因がはっきりさせることにより、自分はどう振舞うといいのか?を早く見つけて、自分を安心させたい…ってことなんです。

そして、更に、変化が苦手な人&臨機応変に対応するのができない人は、想定外の出来事に自分が振り回されるのが嫌なので、「保身」と「逃げ」に走ります。早く「自分には、その出来事の責任を背負う必要がない」ということを証明しようと、ついつい必死になるんですよね。

 

あぁよかった、わたしのせいじゃない。

私に原因があるわけではない。

私には関係がないことだ。

 

…という感じで、ね。ここまで確認できれば、もう安心です。

 

だから、想定外のことにめっぽう弱い人(=対処できない人・豆腐メンタルの人)は、ちょっとしたことでもすぐにパニックになり、相手に対して「どうしてなの?」「なぜなの?」とガンガン追及します。こうして、自分が納得できる「答え」を引き出そうとするんですよね。

 

つまり、起きたことを無事に解決させるための「原因調査」ではなく、自分の感情を落ち着かせるための「クールダウンのための手段」として、追及するわけです。

 

 

そうなると、追及される側はたまったもんじゃありません。

 

感情的になってガンガン追及してくる人たちは、たいていの場合、問題を適正に解決させる意図は全くありません。

 

そうじゃなく、あくまで「自分の高ぶった感情を鎮めたい」のが目的なので、早く「自分には責任がない」ことを証明して、自分を安心させたいのです。

 

そして、不安定な自分の気持ちを落ち着かせるために、この出来事を起こした相手に対して「厳重注意」という名の攻撃をしかけてきます。

失敗や過ちを犯した相手に厳重注意して、二度と同じことを起こさせないようしなくてはいけない…と、変な正義感が出てきます。自分は相手に対して「注意してあげる」立場だと思っているから、相手の返答を聞いて、「だからこうなったんだ」「もっとこうすべきだ」と、もっともらしいこと言ってをガンガン責め立てます。

 

問題があるのは、想定外の出来事を起こした相手であり、ダメな相手には自分のダメさをしっかり自覚してもらい、二度と同じことを起こさないよう気を付けてもらわなくてはいけない…という意識でいます。

だから、相手を追及したり、責めたり、攻撃することに正当性を感じ、そんな自分に優越感を感じて、少し酔いしれていたりします。

 

こうして、「正義」の名のもとに、自分に嫌な思いをさせた相手を攻撃して叩き潰すことで、だんだん自分の気持ちが鎮まり落ち着いていきます。これが、責める側には心地よかったりするんてすよ。

 

つまり、相手を追及して責めることが、高ぶった感情を落ち着かせるための「クールダウン」の手段になっているという訳です。

 

世の中を見渡すと、こういう人が意外と多いです。

 

自分の感情を律することができない人は、自分の子や孫など、幼い子供が相手でも、容赦なく追及して責め立てます。また、家の外でも、全く見ず知らずの相手でも、容赦なく追及し、相手を責め立てます。

 

子どもに対して…だと、テストの成績が良くない、学校へ行きたがらない、友達と仲良くできない、スポーツクラブのチームでレギュラーになれなかった、受験で失敗した、云々。あと、高齢者だと、自分の子供時代と今を比較して「今どきの子供は…。今の若い者は…。」と、気に障る部分を見つけて追及し、ガーガーと責める人もいます。

 

こうして、自分が感情的になるたびに、厳しく言及できるターゲットを見つけ、ターゲットとなった相手に対して「どうして?」「なんで?」と追及するんです。そして、自分が納得できる回答を相手がするまで責め続け、回答の内容でまた責めるのです。

 

だけど、そもそも「想定外のこと」といっている出来事とは、個人の勝手な思い込みによって作られた「小さな世界」の枠内に、うまいこと収まり切らなかった…というだけのことで、それを勝手に「想定外のこと」と決めつけているんですよね。

 

もっと広い視野に立ったら、そんなことは全然問題ではなく、そんなに厳しく追及して「どうしてできないの?」「なんでそんなことをしたの?」と責め立てる必要なんてないことなんです。

それよりも、自分の狭すぎる視野と、ガチガチに凝り固まった固定観念の方のせいで、勝手に「想定外のこと」にされている訳だから、そっちの方が重大な問題だと思います。

 

 

これからは、私たちの想像をはるかに超えた「想定外のこと」が、この世界で次々とたくさん起きるだろうと思います。

今でさえ、いちいち納得できない・許せない…と感情的な反応をしていたら、もう、この先、この娑婆を生きてはいけませんよ笑。

「人を追及することで、自分の心を安定させる」というやりかたは、もう手放す時です。

それより、何が起きても、「自分で判断し、自分で対処し、乗り越えていく」ことです。自力で前進できる自分にしておくことだと思います。

 

ますます世界が混沌としていく時。もっと大きな心で、起きてくる出来事を受け止めていきたいものです。

 

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我が家の梅が満開になりました。小さな鉢植えだけと頑張って咲いています。