森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「どっちが正しいか?」「どっちが間違っているのか?」にこだわり過ぎる人たち

人を観察していると、

「自分は正しい」「自分は間違っていない」

ということにすごく執着する人がいます。

 

こういうタイプの人は、いつも「自分は正しいか?」「自分は間違っていないか?」をいつも気にしていて、そこにすごくこだわっているんですよね。

 

だから、人と話していて、自分と他者の違いを見つけた時、すぐに「どっちが正しいのか?」で急に興奮しだし、変な行動へと突っ走るんですよね。

とにかく「自分のやり方は間違ってはいない」を証明するために、自分を正当化すめたの言い訳を延々としたり、自分のやり方を一生懸命に説明して相手を懐柔しようと躍起になったり、時には、怒りをむき出して威嚇し、相手を無理やり黙らせて自分に従わせようとするのです。

 

 

「正しさ」が生きる指針になっている人は、こんな感じで常に人に戦いを挑み続けていて、「どっちが正しいのか?」の戦いゲームに勝ち続けることが大事だと信じこんでいるんですよね。

 

だけど、こうした反応って、実は全く必要ないことなんですよね。

 

 

自分は自分、人は人…と割り切っていれば、自分のやり方と相手のやり方が違っていても、その違いを素直に受け入れて、互いを尊重するので、決して対立は起きないはずなのです。

 

だけど、いつも「自分は正しい」という意識に縛られ囚われていると、相手と自分の間に何か「違う点」を発見した瞬間に、

 

どっちが正解なのか?どっちが間違っているのか?

 

…の戦闘が始まってしまうのです。

 

本来なら、別にどっちでもいいんだし、自由に「あれもよし、これもよし」と受け入れてしまえばいいんですよ。だけど、こういうタイプの人たちは、どうして自分のやり方を「正しい」と決めておかないと気が収まらないようです。

 

きっと、周囲から「あなたは正しい」と認めてもらわないと、自分はこれでいいのか?不安で心配になるのでしょう。あるいは、常に「正しさ」を追求する社会で生まれ育ったため、「正しい」側に身を置いていないと、自分の社会的価値や存在価値を抹殺されてしまう…と思い込んでいるのかもしれません。

 

「正しいのはどっちだ?」で、他人や自分をジャッジするのではなく、どちらもOKにしてしまい、気楽に受け入れて飲み込んでいくことです。

その方が、うんと楽に生きていけますよ。

 

 

もう、他人の中に、自分とは異なる部分を見つけたからと言って、すぐにその場で「どっちが上か?下か?」で競い合うような付き合い方は、今すぐやめることだと思います。

それでは何も生み出さないし、憎しみと対立を増やしていくだけです。

 

自分が正しいことを証明したがり、相手に「間違っている」と認めさせて屈服させたり…等の人間関係は、古い時代のもの。闘争に勝つことが生き残る手段だった時代のやり方です。

 

これからは、違いがあってもよし。そもそも「間違い」なんてないし「正解」もない。どんなこともOK。すべてが〇…という価値観にシフトしていきましょう。

 

もう全体主義や集団主義の時代ではないのです。

 

人が100人いれば、100通りの個性があり、100通りの自由があります。

すべてを同色に染めてしまうことは不可能です。

 

自分の心のこわばりをほどいて、すべてを気楽に受け止められる人になりましょう。

 

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