森の中の大きな木~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

「説得する」「説得される」について考える

昨夜、夫と話をしていて、その中で「説得」という言葉がたくさん出てきた。

 

仕事上、困難を乗り越えるような場面では、「相手を説得する技術」がすごく大事で、いかに相手に心地よくご理解いただけるか?で、みんな苦心していると思う。これは、円滑に仕事を推し進めていく上で、とても重要なビジネススキルになっている。

 

また仕事でなくても、日々の日常でも「相手に説得してみた」とか「説得して了解を得た」という感じでよく用いられる。

 

しかし、この「説得する」という手法について、改めて感じとってみるに、なんだか古い体制の古いコミュニケーション方法のように感じられて、もう手放さなくてはいけないと思った。

 

もちろん「説得」について、私も昔はいろんな場面でよくやってきたことだし、特別これといって異議を申し立てるようなことなど思いもよらず、みんなが普通にやっている「当たり前のこと」として認識していた。だから、自分のこの「新しい気づき」に正直すごく驚いている。

 

直感的に、将来的には「説得」なんてことは廃れていくだろうな・・・と、しみじみ感じたのだった。

 


よくよく考えたら、「説得」とは「相手に説明して納得させること」であり、更に「納得」とは何か?…といえば「他人の考えや行為などをもっともだとして認めること」という意味である。

 

つまり、「相手を説得する」という行為は、自分の考えや行為を「もっともだ」と認めさせるために、自分の意見や思いを相手に懇々と説明する・・・ということになる。

 

そう思うと、これってかなり高圧的で支配的な手法ではないか?…と、急にモヤモヤした気分になった。

 

だって、相手の意見など全く考慮せず、ただ、一方的に相手が納得してくれるまで、自分の意見や論を言い続ける訳だから…。

 

つまり「説得」のゴールは、相手がウンとうなずいてくれた瞬間である。

 

それまでの間、説得する側は自分の意見を懇々と説明し、相手が根負けするまで言い告げるということだ。

それでも相手が素直に納得しくれない場合は、そんな相手のことを「どうしてわかってくれないんだ!融通が利かない人だ」と言って非難したり、悪者扱いしたりすることだってある。

 

過去を振り返ると、説得する側が有利な立場に立ち、相手を見下すような態度で高圧的に説得を繰り返し、半ば力ずくで相手の了解を得ることが多かったような気がする。

 

こうなると、「相手と意見を交換して、お互いにとって良い着地点を見つけましょう」という穏やかさなどなく、最後は「どうしてわかってくれないのか!」と泥の投げ合いみたいな酷い状況になることだってある。


相手が納得してくれるまで、ひたすら続く説得の嵐。ただ一方的に、相手が従うまで「説得」は延々と続くのである。

 


そんな説得のシーンを想像すると、説得される側には自由が無いことがよくわかる。

もう説得する側によって「ゴール」がガッチリ決められているから、相手が作ったシナリオ通り、黙ってうなずいて「その通りです」と答えなきゃいけない。

ホント、「説得」とは、相手の気持ちを全く無視した無慈悲なやり方だなぁとつくづく思うのだ。

 

たとえ相手が未熟であったり、自分より力が劣っていたとしても、同じ人間として、相手の意見や気持ちをちゃんと受け止めることも必要。だって相手の意見には、相手がこれまで生きてきた彼らの人生がそこに集約しているのである。

 

それなのに、相手の気持ちを汲み取ることなく、一方的に「説得」という形で自分の意見をゴリ押しするのは、相手の意見…もっといえば相手の人生そのものを頭から否定していることにもなる。

 

だから、モヤモヤして嫌な感じがするんだな…。

 

過去の古い時代には、各地で「説得」が普通に行われてきた。説得を受けたら、黙って従順に従うのが美徳とされてきた。

 

しかし、これからの新しい時代のスタイルには全く適さないよなぁ・・・と感じたのだった。

 

 

ちなみに、これからは「説得」じゃなくて、「調和」が大事だと思っている。

 

同じ人間であるという対等の立場で、こちら側の意見を伝え、相手の意見も同じ重みで受け止め、双方にとってちょうどいい案配を探り当てて、そこに着地する・・・という方法である。


しかし、「説得」に慣れ親しんだ世代の人々は、自分では「意見交流」をしたつもりでも、知らず知らずの間に「自分の意見を一方的に押しつけていた」なんてことが起きる。


一方的に相手の意見を封殺して、自分の主義主張を押し通そうとしてしまうのである。

 

そんなことがないように気をつけるには、自分の意見の中に、相手が話した意見を一点でもいいからブレンドしておくことだ。相手が話した意見の中で、これは大事だと感じたものを見つけて、そのエッセンスを取り入れた意見を「自分の意見」として伝えることだと思う。

 

要は「調和」。

 

一方的かつ攻撃的な説得作戦にならないように、相手の意見や思いもちゃんとブレンドした「調和した意見」」を、私も言い、相手も言い、互いに順番に積み重ねていく・・・。

 

こうするることで、新しい時代のエネルギーに合った話し合いがなされていくと思う。


説得という手法は、もう古い。

 

自分を説得しようといきり立つ相手や、こっちから懇々と説得しないと動いてくれないような相手は、時には見切りをつけて手放すことも必要かもしれない。

 

「説得」というスタイルに頼りすぎている人たち、また、「説得」がないと何もできない人たちは、あまりにエネルギーが固くて重すぎるから、関わったときの疲労感が半端ない。

 

その場合は、棲み分けをするという観点で、距離を置き、別々の世界を生きることも対背だと思う。

 

 

 

 

◇◇◇

 

ここでちょっと私の近況報告です。

実は今月より「ポメラ」を使ってこのブログ記事を書いています。

 

書くことに特化した製品なので、起動した後の立ち上がりも早いし、ネットにつながらないことが功を無して集中して文章が書けるので、とっても重宝しています。

この記事の雰囲気がちょっと変わったかもしれませんが、それは多分、ポメラのお陰で、ピュアに軽く書けるようになった…とことが原因かもしれません。

 

下はポメラの純正ケース。

 

ポメラケースもあると、持ち運びにとっても便利です✨

 

 

先週の写真。スキー場のコースにうっすら雪が積もっていました。