森の中の大きな木2~Let's go to the new stage!~ 

とりあえず今、目の前にあることについて語ろう

エネルギーを感じる

最近、私の周りに集まってくる人たちは、今の私とフィーリングが合う方ばかりのようで、適度な距離間を保ちつつ、お互いに心地よくコミュニケーションができるのだけど、たまに、久しぶりに再会した人と話をしていると、時々、なんとも言えない違和感を感じることがあります。

 

相手が悪いとか、相手に問題があるとか、そういう「相手を否定する」ような意味は一切なくて、ただ純真に「ん?なんか違うぞ」と感じるのです。

 

この違和感、コロナ前はあまり感じなかったんだけど、今はよくわかるようになりました。

 

とはいえ、はっきり認識できるようなわかりやすい感触ではなくて、ごく微量のほのかな一瞬だけ感じるものです。多分、一般的には非常にわかりにくい微々たる「違い」で、明確な言葉で言い当てようとするなら、「エネルギー」でしょうか。

 

そう、エネルギーです。

 

相手の心が存在している世界が、私の世界とは違うのです。

 

だから、相手が自然と放っているエネルギーを、私は「違和感」という形でキャッチしているんだろうな…と思います。

 

今、私とフィーリングが合う人たちも、もちろん個々で属している世界は異なるし、私のものとは異なるエネルギーの持ち主ではあるんだけど、私のエネルギーと調和するのですよ。相手もまた、私のエネルギーを受け取った時、きっとポジティブな影響を受けていると思います。

 

こんな感じで、交流しても調和して混ざり合い、良い刺激を与えあって、建設的な関係が築ける…。これが心地よさの秘密なんですよね。

 

だけど、「あれ?」と違和感を感じさせる相手は、私とチャンネルが合わせられないみたいで、別の世界を生きているという感じなのです。

 

もっと突っ込んだ言い方をすると、自分の進化や成長を止めていて、過去の世界を生きている…という感じです。

 

いつも世間体や体裁ばかり気にしていて、自分自身をちゃんと見ていないし、自分自身を自覚できていないようです。自分の意見と言いながら、世間一般論を語っているだけで、自分の意見や思いはなく、いつも空っぽなのです。

 

だから、会って話をしていると、相手の自分軸がちょっとずれていたり、そもそも自分軸が無かったりするので、こちらは一瞬で「あっ…」と気づいてしまうのです。

 

言葉にならない、言葉以前に自らが放っているエネルギーを、ついつい感じ取っちゃうんですよね。

 

そして、コロナ前には、こうした違和感に対してあまり気にも留めず、フラットに交流できたのですが、今は、違和感を感じてそれを認識してしまうと、そこでその人との間にあった扉が自然とパタンと閉じられてしまう…という感じです。

 

相手について「昔は良い人だった」とか、「以前たくさん世話になった」とか、そうした義理人情を間に挟んで温情で付き合う…ということすら、もう無理なくらい、世界が変わってしまった感じがします。

 

相手には相手の世界があり、それは私の世界とは一線を画すものです。相手の世界が自分に合わないからと言って、相手を攻撃するのは間違っているし、素直に相手の在り方を認めて尊重しなくてはいけません、。

 

一方で、また、相手も私の世界が気に入らないからと言って私の世界を破壊することは絶対に許されないし、私を支配して無理やり従わせることもダメ。

 

お互いに相手の領域を犯さないよう、適度な距離感を持ちつつ、穏やかに暮らすことが大切だと思います。

 

 

最近、エネルギー的に私と調和する人々と新たに出会える喜びを感じつつも、その一方で「あれ?」と違和感を感じることもまた増えてきた昨今。

 

世界は今、二極分化しつつあるのかもしれません。

 

雪が吹雪いて凍結し、開かずの扉になった勝手口。太陽の熱と光のお陰で開きました。