昨夜は満月でしたね。
今まで幾度となく満月と新月を交互に迎えてきましたが、今回の満月は、私にとって「生まれ変わり」の節目になりそうです。
仏教には「彼岸」と「此岸」という言葉があります。
彼岸とは、世間一般では「亡くなられた人がいる世界」のことを指し、それに対して此岸とは「生きている人々の世界」という意味でつかわれます。
だけど、もっと深い意味でとらえると、彼岸とは「解脱して心が涅槃に入った人の世界」のことであり、此岸とは「まだ心が悟りの境地に至らず、心が六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄動)をグルグル回り続けている人の世界」のことを言います。
涅槃も「人が亡くなったこと」を指す場合があるけど、本来は「あらゆる煩悩が消滅して、穏やかで安らげる境地に心が至ったこと」を言うんですよね。
実は私は、ずいぶん昔の30代の頃、ブッダの言葉を解説した本を読んでいて、まだご存命だった頃のお釈迦様(ブッダ)が「悟りの境地へは簡単に行けるよ。私が指導すれば一週間ほどで至ることができる」と人々に説いた話を知り、「えっ?ホント!」とビックリしたんですよね。
当時の私は、心が六道をグルグル回っている状態で、本当にしんどくて大変でした。この状態から脱するために、仏教を在家で勉強していたんだけど(←旧ブログから読んでくださっている方はご存じですよね)、このブッダの話から「それなら私でもその境地に至ることができるかしら…」と思い、試しにコツコツ実践してみたのですよ。
おかげさまで心の修行は順調に進み、ある境地にまで至ったのですが、この時「これ以上先に進んで解脱しちゃったら、これから先の人生が退屈になってしまうのではないか」とふと感じたのです。
人間であるからこそ、人生に喜怒哀楽があってドラマチックで面白いのだ。
人間を超えちゃったら、喜怒哀楽を感じなくなってつまらなくなるのではないか。
…と。
そこで私は、心の修行をここで止めました。この時「片足は彼岸に達しているけど、もう片方の足は六道グルグルの此岸(人間)の世界に突っ込んだままでいる」と決めたのです。それが40代前半の頃。今から10年くらい前のことです。
しかし…。
先日「そろそろ先へ進みなさい」と、背中を押されることがありました。